【小説】つまらない◯◯◯◯ 36
俺がどうして聡美の前に付き合っていた人と別れたのかという話は、かなり端折っていたとはいえ話してはいたと思う。「その人には話せないことがあって、でも、その話せないことの中に、自分にとって大事なものがあって」というようなことを言ったような気がする。聡美は覚えているんだろうか。
聡美の前に付き合っていた人との関係は、むしろ、多くのカップルよりは何でも話せる関係だったのだと思う。けれど、話すと空気が重くなったり、相手が嫌な気持ちになる話題がいくつかあった。それを俺がだんだん話さなくなっていっただけで、むしろ、聡美に言ったことは間違いで、その人とは何でも話せたのだろう。
そして、その話をしたとき、聡美とだったら何だって話せるというわけでもないんだろうなと思った気がする。今はそのときよりも聡美と近付いて、もう少しはいろいろと話してきて、やっぱり難しいのかなと思っている。
聡美のほうは、俺も自分となら何でも話せるはずだと思っているのだろうか。今までのところ、お互いに活発に喋り続けてはいるけれど、今の時点ですら、俺はちょくちょく話さないようにしてしまっているときがあったりするのだ。けれど、聡美はまったくそんなふうに思っていないのだろうなと思う。
多分、聡美と俺とでは、ひとつずつの話題は普通どれくらい掘り下げるものなのかという感覚がかなり違っているのだろうなと思う。そんなふうに思いながら、自分がいろいろと思うことについて、とりあえず軽い感じで話し始めて、聡美がそれほど反応してこないのを確かめて、そのまま簡単に話を終わらせたりすることが今までちょくちょくあった。聡美の前に付き合った人は、俺が何か話したことに対して、それでどうなったとか、それはどういうことなのかということを聞きたがってくれていたし、話せばわかってくれていた。それは、初めて二人で会ったときからそうだったように思う。
もちろん、昨日まではただの同僚だったからというのはあるのだろう。俺と聡美はずっと楽しい話と会社の話ばかりしていて、お互いのプライベートの話はあまりしてこなかった。家族の話とかは少ししたけれど、お互いの過去の恋愛のこととか、自分がどういうふうに他人と関わってきたのかということは、ほとんど話さなかった。何かについて、どう思っているかということを長々と話したりすることがなかったけれど、そういう軽い話が中心のパターンで話していたから、どういう話題もあまり掘り下げずに軽く終わらせていたところもあるのだろう。
聡美とも、これからもっといろんなことを話していくのだろう。けれど、どれくらいわかってくれるのかなとは思う。わかろうとしてくれているのかどうかも、よくわからない。今までのところ、仕事の話をしているときでも、俺の言っていることをわかってくれていないなとか、言っていることが軽く取られているなと思うことは多々あったりしている。けれど、それにしたって、聡美は自分ではわかっているつもりだったのかもしれない。どれくらいわかればわかったことになるのかという基準も俺とはかなり違っているのかもしれないなと思う。俺は何かを話すとき、あまり単純化しないようにと思いながら話しているところがあるけれど、聡美はシンプルに考える人だというのもあるのだろう。俺がそうやってぐだぐだと喋っても、結局こういうことでしょというに頭の中でまとめてしまうのだろう。結局どうするのかとか、結局それがいいのかよくないのかとか、楽しいとか楽しくないとか、そういう結局のところがわかれば、それでわかってあげられているつもりなのかもしれない。
別にそれが間違っているとは思わない。けれど、結局のところがどうであれ、そこに至るまでのあれこれに俺はくよくよしているし、そういう俺のような人間には、結局のところどうなのかというふうに聞いている人と話していると、どこか自分が空回りしているような感じがしてきたりもする。聡美と話しているのにしても、そういう感じになってくることがあった。
あとは、いいように言ってあげようという気持ちが強すぎるように感じることもよくあった。聡美はよく「お仕事大変だね」とか「頑張ってるね」とかいうことを俺に言っていた。二人で飲み始めたころは、それに対して「まぁぼちぼちね」と普通に返していた。けれど、俺は自分の仕事に対して大変だというふうにも思っていなかったし、頑張ってるねというのとも違うなと思っていた。その後何度か飲むうちに、自分が仕事に対して行き詰まりを感じていることや、そのうち仕事を辞めるつもりだとか、そういうことを話した。けれど、そのあとでも聡美はただ「頑張ってるね」というふうにしか言ってくれなくて、なんだかなと思いながら、単純に「ありがとう」と返さなくなった。けれど、聡美はただの謙遜だと思ったのか、それからも同じようなことをたびたび言っていた。俺はそのたびに、そもそも頑張ることが求められていない職場にいて、大変になるようなシチュエーションがそもそもなかったりするのに、何を言っているんだろうな、というふうにしか思っていなかった。
俺としては自分で頑張っているとは思えなかったのだ。世間的に考えて、頑張っているといえるほどの取り組み方をしていないし、自分の今までの職場での働き方と比べても、今の職場での自分はダメだとしか思っていなかった。辞めようと思っているのも、頑張ったと思えるような仕事のやり方ができないのが嫌だったからだった。やる気のなさだったり、仕事の遅さとか、最小限しかしようとしないことだったり、やったほうがいいと自分たちでわかっていることでも上から言われるまではやらないようにするとか、マネージャーが全員そんなふうだったから、部署全体がここでの仕事はそんなものだと思い込んでいて、消極的な選択を後手後手で繰り返すようにしか仕事が進んでいかなかった。そんな中で、多少根を詰めて自分に割り振られた作業をやっていたとしても、それで自分は頑張っているなんてとても言えないだろうと思っていた。まわりが怠けているからと自分も怠けようとはしていなかったとしても、それで頑張っていると言えるわけがないだろう。そういう意味では、同じ部署にいる社員の誰にも頑張っているなんて思っていなかった。そういうことは聡美にも話していたのだ。
それでも、聡美は「お仕事大変だね」とか「頑張ってるね」と言ってくれるだけで、それ以上には何を言ってくれるわけでもなかった。聡美としては、俺の仕事量が多いらしくて、俺がそれを残業しながらこなしていることに対して、当たり前のようにそう言っていただけなのだろう。それはいいのだ。けれど、俺が仕事に対していろいろ鬱屈しているのはわかっているのだから、たまには何か他の言い方をしてくれればいいのになとは思っていた。あまりよろしくない働き方をしているという徒労感のようなものを、せめてそういう話をいろいろしてきた聡美にはわかってほしかったのだ。
聡美のほうにしても、褒められたりねぎらわれたりするうえで、気持ちをわかって言ってくれているかどうかで違いがあっただろうと思う。俺が聡美の仕事の話を聞くときは、ある程度質問しながら、聡美なりに頑張ったポイントだったり、どういうことがわからないままでのとりあえずのチャレンジだったのかとか、そういうことを確かめて、そこで聡美を褒めるようにしていた。ただ、頑張ったから契約取れてよかったね、頑張ったかいがあったね、で終わらないように、聡美がそのときそういう気持ちでやったことがいい結果になったねと言えるように、相手が具体的なことも話してくれるように相手の話を聞くようにしていた。聡美にとっても、具体的に褒められたぶん多少は気分がよかったはずだろうと思う。
けれど、聡美はそんなふうには褒めてくれなかったし、そもそも、そんなふうに褒めようにも、自分の頭の中で具体的にイメージしながら俺の話を聞いていなかったのだろう。ただ、シンプルに頑張ってるねと褒めてくれるだけだった。
それが嫌だったわけではないのだ。実際に俺は残業も多かったし、それなりに集中してやっていたから、夜には見てわかるくらいに消耗していたのだと思う。疲れることをしたことに対していたわってくれているのに、それにいちいち怒ったりするわけがない。ただ、付き合うということになっているとして、それでやっていけるのかなと思ってしまうのだ。
多くの人が、他人であれ身内であれ、ただ闇雲に褒めるくらいしかできなかったりするのは、俺だってよくわかっている。会社にいても、マネージャー職の人ですら、人がやった仕事に対してざっくりと褒めることしかできない人ばかりで、その人のやったことの中身とその人がやろうとしたことを感じ取って、そこに対してリアクションしようとしている人はほとんどいなかったように思う。自分の仕事をやっているときに、自分なりに頑張ってみるという感じでしかやっていないから、人の仕事を見ても、その人なりに頑張ったんだろうとしか思っていなくて、その仕事をするにもいろんなやり方がある中で、その人がそういうやり方でそういう完成度で仕上げたということがどういうことなのかということを考えたりしないし、感じようともしていないのだろう。ちゃんと褒めるためにできるだけちゃんと相手のやっていることの中身を感じようとするのはそれなりに疲れることだし、そんな疲れることをするよりも、さっさと褒めて相手に軽く満足してもらってすませてしまいたくなるのは仕方のないことなのだとは思う。
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