好きになれて幸せなのではなく、好きになれた人を幸せにしてあげられたら自分も幸せになれると思っていた彼女
(こちらの記事の続きとなります)
別れるときに、私より俺を愛してあげられる人なんかいないんだよと言ってくれた彼女とは、知り合ってすぐに付き合うようになった。
聡美とは、その真逆というか、同僚として二年間も毎日のように俺の顔を見ていて、特別何も感じることのなかったところから、飲みに行くという話になったから飲みに行ってみて、二人で飲みに行くのを繰り返して、俺がそういうつもりならと、聡美のほうも好きになれるか試してみて、引っかかるところもありつつ、なんとか好きになれたという関係だったのだ。
そんな誰でもよさそうなところからスタートして、聡美の前に付き合った人のように、俺のことを特別なものに思っていけるのだろうかと思う。
もちろん、聡美だって誰でもいいわけではないのだろう。
好きになれるだけでもかなり相手を限定してしまうことなのかもしれない。
俺だから好きになる対象として許容できたところはあったのだろう。
けれど、許容なのだから許容範囲はあるのだろうし、それはそう狭くもないのだろう。
男の一割とか五分くらいにはそう思えるのかもしれない。
そして、それくらいなら、俺は聡美にとってちっとも特別ではないのだろうと思う。
お互いを好きになるというだけなら、ある程度、誰と誰とでも可能だったりもする。
けれど、その人と一緒にいるときの自分が、他のどんな時間よりも自分らしい自分だと思えて、その人を見守っている自分の気持ちが、自分の持っている気持ちの中で一番嘘がなくて温かくてずっと続いてほしいような気持ちであるような、そんなふうに思い合える関係は、誰とでも作り上げられるものではないのだ。
好きな人と一緒にいられれば、それだけでいい感情が自分の中に湧いてくるものだったりするのだろう。
けれど、その相手と一緒にいる時間が、自分がひとりでいるときよりも自分らしく自由な気持ちでいられる時間になるような、そういう関係もあって、俺は今まで付き合ってきた人たちとは、どの人ともそんなふうになっていけたと思っている。
聡美はもっと簡単なことを望んでいるのだろう。
聡美は好きになれた人を幸せにしてあげたいのだ。
それは相手が聡美の気持ちを受け入れてくれさえすれば、あとは自分次第でどうにかできることなのだろう。
それなのに、聡美はわざわざそれに当てはまらない人を選んでしまったのだ。
幸せにしてもらいたいという気持ちがない俺は、聡美とって反対の意味で特別な相手なのかもしれない。
それなのに、好きになれたからと、聡美はもう俺を幸せにできるつもりでいるのだ。
もちろん、どうなるのかは付き合ってみないとわからないことなのだろう。
そして、付き合ってみないとわからないと思いながら、とりあえず好きだからと付き合ってしまうものなのだろう。
そして、そんなふうに付き合い始めても、相手を特別に思えるようになるほどの時間を一緒に過ごせたりもするのだ。
聡美の前に付き合った人にしても、付き合ったのは、何の確信があったわけでもなく、そういうなりゆきに身を任せてみたとしかいえないような始まり方だった。
知人と飲んでいだときに知り合った人が、自分が主催する異業種交流会という名目の飲み会に誘ってくれて、そこで俺はその人と初めて会った。
たくさん人がいる中の一人だったけれど、ぱっと目に入って素敵な人だなと思った。
飲み会の場ではほんの少ししか話せなかったけれど、数日後に俺が連絡して、そのまた数日後に二人で飲んで、その日のうちに打ち解けて、また数日後に俺の部屋に来て泊まっていってくれた。
そのときも俺はどういうつもりでもなかった。
ただ飲み会で素敵な人だなという印象が残っていて、週末をひとりで過ごして寂しかったときに気まぐれに連絡を入れてみて、会えることになったから会って、そして、そういう流れになったからそうしていただけだった。
そして、付き合っているのかはっきりさせないままで、しばらくのあいだ会っていた。
俺のほうはただ何も考えていなかっただけだった。
その人のほうでも、歳の差があるしどうせダメだろうと思いながら、まぁいいや流されてみようと思って流されるままにしていたらしかった。
そんなふうに始まって、一緒に過ごすうちにどんどん仲良くなって、どんどん好きになっていった。
けれど、その人と自分との関係がこれからどうなっていくのだろうとか、どうしていきたいとか、そういうことは何も考えていなかった。
だから、その人が俺との未来を望むようなことを言ったとき、俺はそれにひどく驚いた。
俺はまだ未来のことなんて全然想像もしていなかった。
その人との未来だけでなく、自分の未来についても、全然想像なんてしていなかった。
今となっては、三十二歳にもなったうえで年上の女の人と付き合っていて、そんなふうに思っているというのはおかしなことだなと思うけれど、そのとき、俺は自分が女の人からそんなふうに思われるなんて思っていなかったのだ。
それまで俺が付き合っていたのは、自分のことで忙しい人ばかりだった。
誰も俺との未来なんて考えていなくて、お互いにとりあえず今が楽しければいいという気持ちで付き合っていたのだと思う。
その人のように、仕事に全力で打ち込んでいて、やることをやったうえで、残りの時間はできるかぎり好きな人と一緒に過ごしていたいと考えている人と付き合ったのが初めてだった。
その人は、仕事をする以外には基本空いている人だった。
俺といることを好きでいてくれたし、だいたい土日は俺の部屋に来ていたし、どこかに出かけたり、泊まりがけの旅行にも何度も行った。
楽しかったけれど、一緒にいる時間が長すぎるようにも思っていた。
楽しかったけれど、そんなに楽しいことばかりでなくてもいいのになとも思っていた。
一緒に時間を過ごすほどに、俺はその人を好きになっていった。
けれど、その人からずっと一緒にいたいと言われて、それに応じなかった。
今は一緒にいて楽しいけれど、ずっと一緒にいたいと思っているわけではないと伝えた。
その人はそれでもいいと言っていた。
俺が自分との関係をやめたいと思うときまで一緒にいられればいいと言っていた。
けれど、俺はその人に幸せになってほしかった。
その人が望んでいたような、好きな人と一緒にお互いを大切にし合いながら生活する未来を手にしてほしかった。
そして、時間が経てば自分がこの人の気持ちに応えられるときが来るとも思えなかった。
だから、俺がいつか無理になると思っているうえで、このままその人の未来の可能性を奪っていくのは嫌だと言った。
自分の望む未来に近付いてほしいと言った。
これから先の長い時間を幸せになれる可能性がある相手を探して、その人を選んでほしいと言った。
それは、付き合いだして半年もしないくらの頃にした話だった。
そして、数カ月おきに同じ話を何度も繰り返した。
そして何度目だったのかわからないけれど、同じ話をして、二ヶ月くらい前に別れたのだ。
その人と一緒にいることを選べなかったのは、そもそも自分が未来のことを考えられなかったことが大きかったのだと思う。
そもそも自分がこの先どんなふうに生きていきたいかというイメージがなかったから、その人であっても、どんな人であっても、何も自分の未来にぴったり当てはまることがありえない状態だったのかもしれない。
けれど、無理やりイメージをしてみようとはしたのだ。
この人とずっと一緒にいるというのはどういうことなのだろうかと考えた。
話は合うし、何の話でもできる。
一緒に何かをしているのも楽しい。
一緒にご飯を食べているのも楽しい。
一緒に音楽を聴いているのも楽しかった。
セックスは多少噛み合わないところもあった。
その人が俺に触れてくるときの手の伸ばしてき方が、俺が他人とのあいだで無意識に計っている距離感とは合わなかった。
その人が俺に触れてくるときに、一方的な触ってき方に感じてしまうことがあって、俺は反射的に警戒するような、嫌がるようなリアクションをしてしまうことがあった。
「傷付けようとなんてしていないのに、傷付けようとしているようにリアクションしてくる」と言われたことがあったけれど、その人だって、その人なりに距離を計ってくれていたのだろうし、無神経に触ってきたわけではなく、むしろ触りたい気持ちをちゃんと持って触ってくれていたのだとは思う。
けれど、俺とは合わなかった。
俺の呼吸に合わせて手を伸ばしてほしいのに、俺からすると、向こうの呼吸で一方的に手が伸びてきたり、身体が近付いてくる感じがした。
それはセックスのときの距離感にしても同じだった。
気持ちよくなってくれていたから間は持っていたけれど、距離感としては噛み合わないものをちょくちょく感じていた。
もちろん、ただ不満に思っていただけではなく、それについても話をした。
けれど、お互いに萎縮しただけだったのだろうし、時間が経つにつれてセックスの頻度は落ちていった。
セックスがもっと噛み合うようになって、それがずっと続いていたら、何か違っていたのかもしれないとは思う。
けれど、セックスが噛み合わないのが嫌だったというわけではないのだ。
相手の容姿とか嫉妬とかセックスとか、そういう何かしらの性質に引っかかっていたわけではなく、物足りなかったことが一番大きかったのだと思う。
その人といるのが簡単すぎて、楽すぎて、困ることも追い詰められることもなくて、それが物足りなかったのだ。
その人と一緒にいるのは充分すぎるほどに楽しかった。
けれど、だんだんと自分の気持ちをすべて持ち込んで話すことができなくなっていった。
お互いを知っていく段階でいろんなことを話している中で、自分の感じ方のどういう部分が相手を傷付けるのかを知って、それを話さなくなっていったし、相手のほうも、俺を傷付けないように思ったことを言わずにおくことが増えていったのだと思う。
今まで付き合っていた相手とは比べものにならないくらい、この人を傷付けたくないという気持ちが強くなっていたけれど、傷付けない範囲を踏み出さないように関わってしまったときに、その人と一緒にいることは俺には簡単すぎてしまったのだ。
それでも、一緒にいて楽しかったし、大切に思っていたし、大切にできていることがうれしかった。
だから、俺がひとりになるたびに少し退屈に思ってしまうような付き合い方であっても、相手が満足してくれているのなら、そうしてあげたいとも思っていた。
けれど、自分の退屈もどうにかしたかった。
そういうことを話して、別れ話をして、けれど別れなくて、ということを何度も繰り返していた。
そうしているうちに、関係性はだんだんと変わっていっていたのだとは思う。
お互いの気持ちがぶつかり合うことが減っていって、相手が何を言っても、そこにその人らしさのようなものを見つけ出して、何もかも肯定的に受け止めあえるようになっていった。
そうなっていくことで、その人のことをもっと好きになったし、その人と一緒にいることは、むしろどんどん楽になっていった。
けれど、満たされないものは残り続けて、だから、俺はやっぱりちゃんと終わらせたいと思った。
先延ばしにしているだけで、先延ばしにするほどに、もっと一緒に時間を過ごすことでより相手を好きになる。
けれど、自分はこの人との未来を選ばないだろうという気持ちは、最初に別れ話をしたときから、多少気持ちが揺れるくらいで、結論が自分の中で動いたことはなかった。
これ以上先延ばしにして、もっとお互いに好きになったうえで、もっと深く傷付けるのも嫌だった。
だから、とにかく離れてしまいたかった。
この先傷付けることになるのなら、さっさと今終わってほしかった。
今になって思えば、素敵な人だなと思っただけでは、近付いてはいけない人だったのだと思う。
その人は一緒に生きていける相手が欲しかったのだ。
好きで、一緒にいて楽しくても、ずっと一緒にいるには物足りないなんて思ってしまうような、まだ誰とも一緒にいようという気がないのに等しかった俺はそもそも対象外だった。
対象外でも、近付いてしまえば楽しく時間は過ぎて、お互いを好きになってしまう。
けれど、対象外は対象外なままで、そこから変わらなかったりもしてしまうのだ。
好きになったぶんだけ、よりいっそう悲しませただけだったようにも思う。
俺としては、たくさんいろんなことを感じたし、好きになれてよかったと感謝している。
けれど、頭ではそう思っても、気持ちとしては、好きにならなければよかったという思いは消えなかった。
その人を傷付けた感触は俺の中にずっと残っていくのだ。
そして、俺の中に残った痛みとは比べものにならないほどの痛みをその人の中に残してしまったのだ。
(続き)