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【小説】つまらない◯◯◯◯ 14

 多くの人と比べれば、聡美は全体的にものごとを好意的に受け取ろうとしているほうだとは思う。何でもバカにしたがるほうではない。けれど、自分の感じ方に合わないものに対しては、どんなふうに自分と合わないかということを感じている度合いが強いのかなと思う。自分の感じ方がそのもののよさを感じられるようなものの感じ方を含んでいないのだと思って、それをいいものに感じられるような感じ方になれるように、できるかぎり受け身にそれを感じてみようとしてみるわけではないのだろうなと思う。
 もちろん、それが普通の感じ方なのだとは思っている。自分のぱっと気に入るものがいいもので、自分がぱっと美味しいと思うものが自分にとっての美味しいものだと感じることを不自然だと思っているわけではない。自分に合うものを好きになるというのは、自分がすでに気持ちよく感じられる感じ方を身につけているものをいいものだと思うことで、そんなふうに感じられるものがあるということ自体はいいことなのだ。けれど、自分がぱっと理解できるものが、自分にとって近しいもので、そうでないものは、自分とは縁遠いものに思って近付こうともしないというのでは、まだ自分にしか興味のない子供の感じ方とか、話の通じない類の老人の感じ方じゃないかと思ってしまう。
 とはいえ、ある程度の歳になってしまえば、多くの人がそんなものなのだろうし、女の人であれば八割以上がそんなふうなのだろうとは思う。自分が女の中の多数派に属しているとなんとなく思っているような女の人に、自己追認以外のことを求めるのは難しいことだったりする。聡美は微妙なところだったりはするのだろう。多数派の女の人とは違っているところも大きいけれど、多数派でないことで自分を確かめている感じでもない。そうしたときに、俺からすると、聡美の何かを好きになる好きになり方は、どうにも中途半端なものに感じられてしまうのだ。新しい面白さや楽しさとの出会いを常に求めている感じもするし、好きになろうとする範囲に自己追認の気配も感じる。好奇心はあるけれど、学びたいという気持ちが少ないという感じなのかもしれない。聡美と話していて、そういうような、すぐに自己完結してしまいがちな気持ちの動きを感じ取るたびに、それではもったいないのになと思っていたのだと思う。
 ある程度大きくなってきてからではあるけれど、俺は自分がすぐ気持ちよく感じられるものだけではなく、すぐに気持ちよくなれないものに触れているときにも、同じくらい楽しさを感じてきたのだと思う。あまり素直に気持ちいいと思えなくて、なんとなく違和感があって、けれど、なんとなく惹かれているようなとき、俺はむしろわくわくしていた。それは自分が新しく何かを好きになれそうなときの感覚だったりするのだ。なんだかよくわからないし、自分が宙ぶらりんな感じに置かれているような気分になりながら、これはなんなのだろうと思いながらその感触に集中して、それがたしかにしっかりとした強度を持ったものであることを確かめていく。その時点では、まだ気持ちよくはなれていない。けれど、興味は増していて、それでもまだ違和感のようにして感じられるそのものの個性に、こういうものやこういうやり方があるんだなと、とりあえず素直に感心していると、そのうちに楽しくなってくる。初めて体験したときには違和感が強いままで終わっても、別の機会に改めてそれに触れたときに、それが気持ちのいいものに感じられるようになったりする。そして、それが気持ちよくなっただけではなく、それと同じような方向性の気持ちよさを目指しているものも、同時にそのよさがわかるようになっている。そういうことがあると、自分が気持ちよく感じられるものが増えたことに、自分が少しはましになったように思えてうれしくなる。
 そういうことは、意識しないうちに、誰もが踏んでいるプロセスなのだろうと思う。けれど、年をとるにつれて、何かを好きになりたいという気持ちはだんだん弱まってくる。好きになろうとすることは、それなりに自分を消耗させることなのだ。ストレスが大きい生活を送っている人は、概してあまり好きなものがないし、何か多少執着しているものがあっても、好きというよりも、自分とそのものとにまつわるエピソードを手に入れることで満足しようとしている感じだったりする。ある程度リラックスして元気がないと、何かを好きになろうとすることも難しかったりする。そして、年をとるほどに疲れていく人は多いし、だんだんいい年になって生活に疲れてきたときには、いちいち自分のものの感じ方に疑問を持つ気力もなくなって、自分はこういう人なのだから、こういう自分に合うものがいいものだと思って終わりになっていくのだろう。
 どうなのだろうなと思う。まだ聡美のいろんな面を知っているわけではなくて、なんとなくそう感じるというだけなのだ。聡美の食べ物での嫌いなものへの固執や、映画を全般的に自分とは関係のないものに思っていることにしたって、これから俺と付き合って、いいものはいいし、それは好き嫌いとか関係ないということを話しながら一緒にいろいろなことをしていけば、変わっていくのかもしれない。
 二十五歳のときに付き合っていた人はトマトが嫌いだったけれど、俺はそれを食事中に初めて聞いたとき、「トマトみたいな基本の野菜に嫌いだとか、バカなんじゃないの。そういうの、よくないからやめといたほうがいいよ」というようなことを言った。彼女はその場では黙っていたけれど、ひどく傷付いたとあとで言っていた。その人は、今でも特に好きではないけれど、トマトは食べるようになったし、トマトソースとか、生でなければ美味しく感じるようになったらしい。好き嫌いとか、自分の感じ方全般についても考えるきっかけになったから、あのときああいうふうに言ってくれたのはよかったと言っていた。けれど、今思っても、まだ付き合い始めというか、自分たちは付き合っているという話もしていないような関係性の相手に、めちゃくちゃな物言いだったなと思う。
 もちろん、何かを嫌いに思いたがって、それを嫌っていることをアイデンティティーのように思っていても、いいことなんて何もないのだし、そこは早めに気付くことができてよかったのだろうと思う。とはいえ、俺の言い方はよくなかったし、だから、聡美にはそういう拒絶っぽい言い方はしないで、遠回しにどんなふうに嫌いなのかを探るように聞いたりしていた。それでも、好き嫌いのない人にそういうことを聞かれているというだけで、聡美は充分に嫌そうにしていた。これから聡美にそういうことを丁寧に話してみても、嫌いなものは嫌いだと受け入れてくれないのかもしれない。食べ物のことだけなら、それについて流していればいいけれど、自分の中での好き嫌いという感情への距離感というのは、何にでもついてまわることだったりする。これからお互いの感じたことを話しているときに、いろんなすれ違いはあるんだろうなと思ったりはする。
 とはいえ、食べ物の好き嫌いがあるのだって、映画を観ないのも、本を読まないのにしたって、自分の周囲を見渡してみれば、ただただ普通のことでしかないのだ。自分とは違っているなと思うだけで、それが悪いことだと思うわけでもないし、どうにでもなるのかなと思う。
 そういう引っかかること以上に、聡美に対していいなと思うことがたくさんあるのだ。損得や打算で動いているところが少なくて、自分の気持ちを大事にしながら生きている人なのだと思っている。表情が大きくて、あまり自分の気分を隠したり抑えたりしないし、行儀よくきちんとしすぎた感じもないし、意地悪なところもあるけれど、他人の不幸を望むような悪意は弱くて、無邪気というか素直な人だなと思える。自分のことをその他大勢のうちの一人というふうに思わずに生きてこられたパワフルな人だなと思う。
 そして、いいところがあるというだけではなくて、他の人と比べても力強い素敵な人だとも思っている。実際、職場で聡美を見ていても、聡美の影響力というのはなかなかたいしたものだなと思っていた。聡美がいるのといないのとで、そのグループやその場の雰囲気がずいぶん違ってくるというのをここ二年以上ずっと目にしてきた。多少ふざけすぎているところもあるけれど、喋ってくれるから、まわりの気が楽になるし、会議とか、みんなが何かを言うのを面倒くさがるときにも率先して意見を出すから場が軽くなる。とりあえずやってみるという感じですぐに動き出してくれるから、責任逃れの押し付け合いのような無駄な膠着が減る。グループの中に入りきれていない人がいるときも、世話を焼いてくれるし、まわりを巻き込んで喋ってくれるから、そういう人もみんなの中に入りやすくなる。仕事はせっせとやるから、仕事をしっかり進めるという雰囲気にも貢献している。仕事ぶりとして、完璧ではないだろうし、緻密というよりは荒っぽいかもしれないし、勉強熱心というわけでもない。けれど、人の相性はあるとはいえ、おそらくどこの会社のどんな部署であっても、聡美がいると、その部署にとてもいい影響があるような人だった。自分に割り振られた仕事をちゃんとこなしていれば、それ以上に文句を言われる筋合いはないと考えているような人たちが多数を占める職場だったから過小評価されていたけれど、ばらばらな人が大勢集まる会社という場所を、みんなにとっていい方向に引っ張ってくれる、もっとみんなに感謝されてしかるべき人だとずっと思ってきた。
 考えれば考えるほど、聡美のいいところは出てくるのだろう。もちろん、誰にだっていいところはあるのだろうし、その人にどういういいところがあるのかなんて、数え上げても何の役にも立たないことだろう。いろんなところにいいなと思ったり、ちょっと自分にはどうなのかなと思うところがあったりしながら、そういういろいろ感じさせてくれるその相手を見ていて、近付きたいとか触れてみたいという気持ちになるかどうかが、自分のその人への気持ちの全体なのだ。いい人だからといって近付きたくなるわけではないし、なんだかなと思うような人でも、どうしようもなく惹かれてしまったりする。そして、触れてみたくなったからといって、その人と近しい関係になりたいと思うわけでもなかったりする。そして、聡美とは仲良くなりたいと思ったのだ。
 ここ何年かで言えば、職場や他の場所で面識があった人の中で、かわいいなとか、セックスしてみたいなというふうに思った人は、聡美以外にも何人かいたりした。けれど、そのほとんどは、ただデートやお喋りやセックスができたら楽しいだろうなと思っていただけだった。かわいいなとは思っていたし、俺のことを好きになってくれそうかもと思ったりもしていたし、その人を眺めたり思い浮かべながら、かわいい人が自分を好きになっていくのを感じながらセックスできたら気持ちいいだろうなと、繰り返し妄想したりはしていた。けれど、お喋りのネタや考え方があまりにも噛み合わなさそうだったし、かわいいなという以外の気持ちでは接することができないのだろうなと思っていて、今までに付き合ってきた人たちのように、その人の考え方や感じ方とか、これまで培ってきた何かをするうえでの能力だったりというものに対して、いい人だなとか、力強い人だなと相手の人格を丸ごと肯定して、そういう相手として尊重して付き合っていったりするのは難しいのだろうなと思っていた。ただかわいいがりたいだけというか、かわいいなと思いながらでれでれすることで自分がいい気持ちになるためだけに近付きたいという感じだったのだ。たまに会ってお喋りとセックスをするだけの関係ならそれでもよかったのかもしれないけれど、どの人にしてもそういう相手を欲しがっているような人にも見えなかった。だから、自分から近付こうとはしないまま、相手からも近付いてこなかったし、自然と近付くきっかけみたいなものもやってこなくて、結局、何もないままになってしまった。
 聡美に対しては、かわいいなと思うだけではなく、この人はたいした人だなとか、力強い人だなという気持ちがあって、どんな人なのかもっと知りたいなと思っていた。そんなふうに興味を持てた人なんて、この数年ほとんどいなかった。そして、聡美には興味を持っただけでなく、近付きたいと思ったのだ。
 だから、付き合うことになってしまっているなとは思うけれど、もし付き合うのなら聡美でよかったはずだとは思っている。実際に近付こうとしてしまうくらい、近付いてみたいなと思えただけで、聡美は俺にとって特別だったのだ。



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