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【小説】つまらない◯◯◯◯ 38

 聡美が俺のことをつまらなくても平気な人だと思っていなくて、自分と同じような楽しいのが好きな人だと思っているのだとしたら、それはあまりにも致命的な思い違いだったりしているのかもしれない。
 昔からそうだったように思うけれど、俺は楽しいことがなくても平気だった。重い話とか、専門的な話を長々とされていてもあまりしんどくなってくることはなかったし、考えても答えの出ないような話をずっとしていても平気だった。真面目な話をしていても、話の流れの中で、ふざけたり冗談を言ったりということは自然と出てくるし、たまに出てくるそういうもので気持ちは充分ほぐれた。楽しげな感じがなくても、話が噛み合っていて、お互いの気持ちを感じ合っているような感覚があれば、それで充分にいい時間に思えていた。暗いのはよくないからとか、そのほうがいいはずだからと、できるかぎり面白い話題とか楽しい話題を選ぼうとする習慣が深いところまで染み付いている人たちに、そんなふうにしなくてもいいのになと思ってきた。俺はむしろ、どこかから借りてきたネタで面白おかしくしているばかりだと、空回りしているような感じがしておぼつかない気分になってきたりする。聡美と話していても、お互いに関係のないことについての面白おかしいだけの話が続いているときは、そんなふうに感じることもあった。
 聡美とはずっと楽しく話してきたとは思うけれど、俺からすると、たまたま聡美が楽しく喋り倒す人だったから、聡美がそんな人だということを楽しみながら、自分のほうも聡美が笑ってくれそうなことをあれこれと話そうとしていたというだけで、面白い話をしたくてそうしていたわけではなかった。
 けれど、聡美のほうは、なりゆきで俺とは基本楽しくなっているのを受け入れているわけではなくて、いつだってはっきりと楽しいことが好きな人なんだろうなと思う。今までに、ずっとメッセージのやり取りをして、たくさん話してきたけれど、そのほとんどがふざけている感じだったし、そのネタも面白おかしく扱えるようなものばかりだった。好きなテレビ番組でも、電車の中でやっていた携帯電話のゲームにしても、聡美がひとりのときにやっていることや、面白がっていることにしても、それはどれも面白おかしく思っていられるようなものばかりだったように思う。
 自分の生活の中にどれくらいの楽しさがあってほしいのかということが、俺と聡美では全然違っているのだろうなと思う。俺は延々と仕事が続いたりして、そのあいだ楽しいことがまったくなかったとしても、仕事に集中できていて手応えがあったうえで進められているのなら、楽しいことがないことにはたいして嫌だなとも思わなかった。ひとりで用事もなくて寂しいときでも、何か楽しいことがしたいと思ったりすることはなかった。寂しいときは自分の寂しい気持ちを感じていればいいと思っていた。だから、寂しくて人に会いたいなと思うときも、寂しい気持ちのままで一緒にいられる人に会いたいなと思っていた。寂しい気持ちを切り替えて違う気分で時間を過ごさせてくれるような楽しい人ではなくて、俺の言っていることに関心を持ってくれるのんびり話せる人と会いたくなる。それすら億劫だったら、映画を観て、映画の中の人物の気持ちに触れて自分の気持ちを動かしてもらうことでまぎらわせようとしたりしていたし、楽しいことをすれば、その楽しい時間が自分を持ち上げてくれるというふうには思っていなかった。
 誰よりも幸せにしてくれると言ってくれているけれど、聡美は俺が寂しかったり虚しい気持ちが強かったりするときにそばにいてほしいと思える人なのだろうか。きっと、俺が気分が落ちているときには、とりあえずは楽しませて気分がよくなれるようにしてくれるのだろう。それに俺が適当に合わせて、へらへらして、あまり気分が上がらないようだったりしたとき、聡美はそこからどうできるのかなとは思う。沈んだ気持ちに寄り添ってくれるというのは難しいのかもしれないけれど、せめてうまく放っておいてくれればいいなとは思う。
 楽しくなくても平気という人はそれなりにたくさんいると思うけれど、それにしたって、聡美はそうではないだろうし、聡美が今まで関わってきた人の多くもそうではないだろう。楽しくないのが苦痛で、すぐに気を散らして自分がしたい話をしたがったり、真面目な話をしていると窮屈そうにして話を軽い方向に持っていこうとしたがったりする人は多い。むしろ、そちらが多数派なのだろう。
 もちろん、俺がしんどかったり寂しかったりするときに、楽しいことをして気を晴らせようとしないで、自分の感情に浸っていようとするのだって、俺の苦痛が悠長に浸っていられる程度の苦痛でしかないからなのだろう。聡美の寂しさは、そこに浸っているには、あまりにそれが訪れる頻度が高すぎるし、あまりにも苦痛が激しすぎるのだろうし、そこから意識を離したくて楽しいことをしたくなるのだろう。辛いことを一瞬でも忘れさせてくれるから楽しいことが好きという感じで、だから、やけくそに楽しめることが大切なのだろう。けれど、俺は自分の生ぬるい辛さを一瞬も忘れられなかったとしても、たいして苦しくないのだ。むしろ、その気持ちのままで充実したいと思ってきたのだと思う。その気持ちのままでは楽しめないようなやけくそな楽しみはむしろ苦手だった。自分の好きな音楽の傾向なんかを考えても完全にそうで、いろいろと聞いているようなつもりでも、ファンキーと評されるような音楽性の人たちで自分が特に好んで聞いている人というのは誰も思い浮かばなかったりする。ジャンルとしてファンクと呼ばれるものもほぼ聞いてこなかったのだろう。俺からすると、すべてを忘れられるように思い切り楽しもうとするようなからっとした雰囲気を感じるものは、自分の音楽を聴こうとするときの気分としっくりきたことなかったのだと思う。
 聡美から見れば、俺がいろいろと考えたがっている姿は、何も考えなくても満足できるような気楽な人が、わざわざ小さいことを気にしてこんがらがろうとしているような滑稽でしかないものなのだろう。もっと単純に、もったいないとか損をしていると思っているのかもしれない。けれど、俺にとっては楽しいことはそれほど面白いわけでもなかったりもするのだ。楽しいより面白いほうが気分がよかったりもするし、楽しいよりも面白いよりも、いい時間だったなと思える時間を過ごしたほうが気分がよかったりする。そして、いい時間だったなと思えるような時間は、自分がくよくよしていた事柄の周辺とか前後にしかなかったりもするのだ。少なくても俺にとってはそうだった。聡美にしても、ずっとどうしたら幸せになれるだろうか、どういう人を好きになればいいんだろうかとくよくよしてきて、そういうたくさんの思いがあったうえで、今俺と楽しくやれているから、そんなにもうれしそうにしているのだろうと思う。そういうものが一番うれしいのだ。ただ、聡美はくよくよしすぎるには辛すぎて、俺はくよくよしていたってたいしてつらくないというだけなのだろう。
 聡美の中には、寂しいという気持ちがあまりにもたくさん詰まっているのだろうなと思う。そして、その気持ちをどうにかしたいという気持ちもたくさんあって、それに向けて何かを建設的に思い描いたりできるのだろう。俺にはそういうものがないのだと思う。俺は寂しいという気持ちすら希薄なのだ。ぼんやりとなりゆき任せにやってきて、その結果としての今の生活をなんとなく物足りなく思って、今の自分に関することなんて、すべてぶち壊しになってしまってもかまわないと思っているし、何が起こっても、空っぽな自分の中を通り過ぎていくだけなのだし、それがどうなろうと、結局自分にはどうでもいいことだと思っている。楽しい場所を通り過ぎて少し気をまぎらわせることができるよりも、何か少しでも自分のぼんやりした気持ちを揺り動かされたいと思っている。自分の寂しさをどうにかしたいと思っている普通の女の人からからすれば、人間の基本的な感情が欠落しているように感じられるのかもしれない。そして、そういうものが、いつだかの聡美に俺の顔を嫌で気持ち悪いと思わせたものなんじゃないかとも思う。
 けれど、俺は聡美と楽しさでつながってしまった。聡美から興味を持ってもらいたくて、好きになってもらいたくて、聡美が真面目になりたいところにはちゃんと真面目に聞いて、それ以外は楽しくばかりしてしまった。聡美が好きだからと、噛み合えなさそうな部分は隠しながら、聡美が好きになってくれそうなふうに近付いて、聡美に好きになってもらった。もちろん、俺にとっては、他のほとんどの女の人より聡美のほうが一緒にいたいと思える人ではあるのだ。けれど、それは俺がそう思っているだけで、聡美が求めていた男からは、俺は大きくずれているのだ。
 俺は聡美に近付きたくて近付けて、セックスしたくてセックスできて、もっと仲良くなりたくて、仲良くなってきている。俺にとっては、俺が望んでいたとおりになっているのだ。聡美にしても、聡美の中では望んでいたとおりになっているのだろう。幸せだなと思いながら、俺を幸せにしてあげるためにこれから何をしようかと楽しみにしているところなのだろう。それなのに、幸せにしてほしいと思っていないなんて、騙しているのと同じだなと思う。



(続き)


(全話リンク)


この作品よりあとに書いたものなので、こちらのほうが面白いです


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