往復書簡 第1便「才能について」(往信:タムラ)

内田先生


こんばんは。タムラです。
この度は、私のわがままな申し出をご快諾いただき、誠にありがとうございます。

今回の往復書簡を思い立った経緯を、少しだけ書かせてください。

大学を卒業してから、ずいぶんと時間が経ち、教え子らしいことをできないまま今に至ってしまっていることに、大変遅まきながら気がつきました。
内田先生のご専門分野から遠く離れたところにいながらでも、内田先生の頭や心の働かせ方が、「生きてるといろいろあるけど、大人って愉しいよ。」というメッセージとして、わたしに届いているように感じており、大学を卒業して歳を重ねるごとに、その実感が増しています。
「大人って愉しいよ」のメッセージは、内田先生の数多の著書を通じて、あるいはブログやX(旧Twitter)などの日頃の発信を通して、世に広く伝播していることは重々承知の上で、いち教え子の立場と、自分の持ち合わせ(未熟さ)でできることをやりたいと思い、今回の申し出に至りました。

今回の私のわがままによって、
「学生の相談事に答えるのは教師の一生の仕事ですから、『そろそろおしまい』ということはありません。」
というお考えに触れたことで、わたしは改めて深く大きな感謝の気持ちでいっぱいです。


前置きが長くなりました。

初回のテーマは、「才能」について。

内田先生の「才能」のお考えは、
・天賦のもの、つまり天から与えられたもの。
・退蔵してはいけない。
・自己利益(他人への威圧、名声、金銭など)を増大させるために使ってはいけない。
(自己利益の増大に使ってしまうと、才能はすぐに枯渇する)
・人間一人ひとりの固有のリソースであり、使っても減らないどころか、使うことで自分も他人も豊かになる。
とお話になっているのを以前拝聴しました。

ここから、わたし自身は、
「才能というのは、一人ひとりの資源(リソース)を循環させて、世界が豊かになるもの」
という動きのある状態をイメージし、とても心が温まり、豊潤な感覚も想像しております。

才能という「カラフルな資源」を退蔵せずに、動かしていく一つの方法として、「才能を使って、仕事をする」ことが頭によぎったのですが、
この場合だと「金銭(自己利益)の増大」につながってしまい、才能が枯渇してしまうのかな…と想像しつつ、
一方で、例えば「高い声が出る人」が歌手になったり、「運動能力が高い人」がスポーツ選手になったり、「背が高い人」がモデルになったりすることで、
その職業(仕事)を通じて、その才能に触れる側は豊かな気持ちになれて、才能を持つ側も気持ちの豊かさとともに収入を得ることになり、
それらの事業が回ることで、またその才能に触れる機会が巡ってくるように感じています。

先に書いた「才能」の例は、先天的なものを挙げましたが、本人の気がつかぬうちに、生育過程の中で後天的に育まれてたものも、
「才能(という資源のひとつ)」として捉えてみると、本当にものすごい数の「才能」がこの世に溢れている気がします。
「面倒見がいい人」が教育現場でお仕事をしたり、会社で部下を育成したり、「意見をまとめるのがうまい人」が会議やプロジェクトを上手に回していたり、
「手先が器用な人」が素敵なモノを製作したり、「空間認識能力が高い人」が空間デザインをしたり、「文章を書くのが上手な人」が作家になったり…。

後天的に育まれたものは、「才能」というよりも「技術」と捉えるほうがよいのかしら…と、思いつつ、「その人が持つある種のリソース」と考えると、
「こういうのも才能なのかな?」とも思っています。

ちょっと言葉の定義の方向性に走ってしまったので、話を戻しますと、

①才能とはどういったものを指すのか?(先天性とか後天性とか無関係?)
②枯渇しない才能の使い方(「才能が枯渇してしまう才能の使い方」の想像力が乏しいことを重々承知しつつ…)

について、教えていただきたいのが、本メールの主旨です。

一人ひとりに埋蔵されているカラフルな才能が、各々心地よい環境で花開く、美しく愉快な世界の住人になりたいものです。



追伸;
最近、『字通』を買いました。
漢字を読み解くのって、愉しいですね。




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