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それ以来、私はその時の外国人の兄ちゃんに感謝を忘れた事はない【ポケモンの話】

少し長い話になるが、どうか聞いてほしい。

人は誰しも、
面と向かって他人に発表する程ではないけれど、大切で忘れられない思い出
というものを持っている、そんな話を。

そして教えてほしい。
その話は本当に美談か?という事を。

少なくとも私はその時救われたし、その想いは今も変わることはない。

ポケモンと私

初代ポケモン「ポケットモンスター赤緑」1996年発売

今日の日本において「ポケモン」という名称を聞いた事がないという人は
恐らくいない。
日本においては単なるゲームの枠を超えたビッグコンテンツ…、いや、
範囲を世界に広げても、それはきっと同じである事だろう。

皆大好き大人気ゲームシリーズ、
「ポケットモンスター」略してポケモン。

1996年の発売以来、子供を中心に爆発的な人気を博し、
グッズ化、マンガ化、アニメ化等、様々な分野にメディアミックスを展開、
その人気は瞬く間に世界へと広まっていった。

…それは当時、福井県の片田舎に住んでいた子供の私にも同じであった。

モンスターを交換する「通信ケーブル」は小学生の憧れだった

ポケモン第2作「ポケットモンスター金銀」その時私は…

時はノストラダムスの大予言に揺れていた1999年。
ポケモン第2作目「ポケットモンスター金銀」は発売された。

96年に発売された伝説の第1作「赤緑」の続編という事もあり、
私の学校では発売前からその噂で持ちきりであった。

当時の私は小学生。
家事を手伝い、肩を叩き、学校のテストで100点を取り、
考えうる限りで親に媚びへつらい、すでに「金銀」を買ってもらう約束を
両親に取り付けていた。

…準備は万端。あとは発売を待つのみ。私の小さな胸は躍っていた。
しかし、私は思い知ることになる。
「ポケモン」の人気は、私の想像を遥かに超えていたのだ。

ポケットモンスター金銀 前作のおかげで期待値MAX

どこにも売っていないポケモン金銀

田舎というものはつくづく不便なものである。

発売を迎えた当日、私は近所のゲームショップへいそいそと足を運んだ。
今ではすっかり見なくなった個人経営のゲームショップだった。

親から渡された1万円を緊張しながら握りしめ、店主に声をかける私。
「新しいポケモンありますか?」
しかし店主から返ってきた言葉は、
「もう予約分で全部売り切れだよ。次入ってくるのは…いつになるかわかんないなぁ」
…であった。

小学生に予約という概念など無い

今にして思えば店頭分くらい確保しておけよとも思うが、
そのくらい田舎の個人経営のゲームショップの流通事情はカツカツだったのかもしれない。

…ともあれ私は梯子を外されてしまった。
心躍るワクワクから一転、絶望のどん底へと叩き落とされたのだ。

期待が大きければ大きいほど、失望もまた大きい。

慟哭

号泣

私は泣いた。
我ながらよく泣く子供だったと思うが、人生でこの時ほど大泣きしたことはない。
その後も足の届く限りのゲームショップを巡ったが、
いずれも売り切れであった。

今のようにネット通販も一般的ではない。
学校に行けば、すでに金銀を手に入れた友人たちが
「どっち買った?」「最初何選んだ?」「あいつ捕まえた?」等、
楽しそうに談笑している。

私は泣いた。
後年、親が言うには「発作を疑った」と言うほどだったらしい。
そのくらい、当時の私には深い傷心だったのである。

ポケモン人気恐るべし


田舎の小学校を駆け巡った「噂」

そんな時だった。

出所は不明だが、私の耳にクラスメイトから
ある噂が飛び込んできた。
それは…

『隣の石川県の県境の山道にあるコンビニに金銀が売られている』
というものだった。

コンビニ…?

コンビニエンスストア

私の地元では私が高校生くらいの時にやっと一軒できた


盲点だった。

今は見かけなくなったが、当時は確かにコンビニにもゲームソフトが
パッケージで小売りされていた。

もっとも私の町内にはそのコンビニ自体がなかったので、
発想が至らずとも無理はない。

ともかく、私は光明を見出した。

子供の足で県境の山道まで行けるはずもないので、
母親を説得し、夕食後から就寝までの数時間の間に車を走らせてもらう事になった。(私の家では子供は9時までに寝なくてはならなかった)

果たして噂は真実なのだろうか?

多分ローソンだったと思う 我ながら必死である

県境の山道にあるというコンビニ…、そこには…

「そこに無かったら諦めなさいよ」

母親にそう言われた。正直私自身、半信半疑だった。
当時の私にはコンビニとは得体のしれない店だったからだ。

そもそも県境に本当にそのコンビニなる店があるという保証もない。
その程度の角度の浅い情報だった。
心境としては記念受験に近かったと思う。

しかしそのコンビニは…確かにそこにあった。

車を止め、母を残し、「ちょっと見てくる」と私は店内に入った。
祈るように、さして広くもない店内を見て回る…。
ポケットモンスター金銀は…


…そこに無かった。

そしてそれ以来、私はその外国人の兄ちゃんに対して感謝を忘れたことはない

店内から駐車場の車に目をやると、
「早くしなさいよ」と言わんばかりに母親が無表情でこちらを見ていた。

やっぱり駄目だったか…

私は最後に店員に尋ねてみることにした。
国籍は不明だが外国の…、おそらく東南アジアのどこかの国の出身であろう浅黒い肌と顔立ちをした兄ちゃんだった。

「あの…ポケットモンスターっていうゲームありますか?」
私はおずおずとその店員に尋ねた。気分は死を前にした最後の特攻だ。

そして私は、その時の店員の顔を今でもはっきり覚えている。

「アルヨ😉」
その店員はニヤッと笑ってそう言ったのだ。

このセリフを聞くと、HEROという2001年のドラマでの田中要次の名台詞が浮かんでくるが、この私の体験はそれよりも2年も前である。

この笑顔を生涯忘れない

ポケットモンスター銀、ゲットだぜ!

その店員はバックヤードへ入ると、小さな段ボールを抱えて戻ってきた。
その中には夢にまで見た、
私が求めてやまなかったポケモン金銀が入っていた。

「ドッチニスル?」

決まっている。Ver銀だ。
私は前情報で見た、銀限定のルギアというポケモンがどうしても欲しかったのだ。

かくして私は、念願のポケットモンスター銀を手に入れる事ができた。
あれから人生で彼女が出来たり、大学に合格したりと、色んな歓びがあったが、この時の歓びに勝るものはいまだかつて経験していない。

おわりに

長い話を聞いてくれてありがとう。
以上が私のポケモンに関する思い出だ。
この経験があるからか、大人になった今でも東南アジア系の外国人を見ると少し和んでしまう自分がいる。

しかし今にして考えると疑問もある。
そもそもあの兄ちゃんは何故ポケモンを陳列していなかったのか…

…色んな想像ができるが、今となっては真相を知る術はない。








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