黄金時代
GW中に一本の電話があった。「正田君、そろそろ集まらないか」という声の主は、昔お世話になった先輩のSさんだ。彼は三十数年前にT郵便局の貯金課で、一緒に仕事をした仲間だが、その時の職場は最高のメンバーがそろっていたと思う。仕事は集中満期(定額貯金が高金利の八〇年代に貯金が集中し、その十年後の預け替えの手続き)で大変だったが、その憂さを晴らすように職場を離れてもよく集まり、よく飲んだ。春は花見、夏はバーベキュー、秋は旅行、冬は餅つきなど、ことあるごとに集まり多くの時間を共にした。その後、転勤でバラバラになっても交流は続き、気がつけば三十年の月日が経った。
Sさんの電話を受けて、早速、白馬に移住したAさんに声をかけると、折よくGW明けに豊田に帰ってくると言う。それに合わせてほぼ五年ぶりに集まることとなった。亡くなった方や連絡が取れなかった人もいたが、八名の仲間が出席してくれた。
久しぶりに会う仲間は、それぞれに不安を抱えているであろうが、皆、余生を豊かに楽しんでいるのを感じさせた。宴が始まれば三十年前にタイムスリップしたように話が弾む。近況を伝えあったり、来られなかった仲間の心配をしたりしながら、話は次第に思い出話に変わっていく。このメンバーが「大人の遠足」と呼んでいる旅行の話になると、青森まで夜行寝台で行った旅を誰もが懐かしがった。
その遠足は昭和が平成に変わった年の九月、総勢二十名くらいの大所帯の旅だった。集合は上野駅に二十時。わざわざ鈍行列車で行った者もあれば、東京タワーや浅草など東京見物をした者、大井競馬場で一勝負した者など、皆、思い思いに上野駅に集まった。
二十一時三十分、いよいよ寝台特急が上野駅を発車する。僕らが乗ったのはブルートレインではなく常磐線経由青森行の「ゆうづる」だったと思う。消灯まで狭い寝台での話は尽きない。その一角で結婚を間近に控えていた僕は、女性陣に包囲されて尋問にあっていた。
早朝に青森駅に着くと九月だというのにひんやりとして、吐く息が白かったのに驚かされた。マイクロバスに乗り込み八甲田山のブナ林を経由して十和田湖へ。奥入瀬はひどい渋滞、皆で歩いたのも良い思い出となった。宿は八幡平。宴会では散々に飲まされ、翌日はひどい二日酔い。昼食が盛岡のわんこそばだったのだけは覚えている。僕は早々にリタイアを宣言して椀のふたを閉じたのだが、給仕が「ほんに食べたがどうが見せでぐれ」と言うので、ホラとばかりにふたを開けると、すかさずそばが投げ込まれる。周りから若いんだからもっと食えとはやし立てられる。そんな様子をよそに、向かいのKちゃんは平気な顔をしてそばをすすっていた。彼女も昨夜同じくらい酒を飲んだはずなのに……。書き始めると次から次へと記憶があふれるように蘇ってくる。
人生で輝いているときというは、その只中は気づかないもので、後から振り返って懐かしむものなのかもしれない。きっと集まった仲間たちも、懐かしい思い出話に花を咲かせながら「あの頃が俺の黄金時代だったかもしれない」と振り返っていたことだろう。これからも大切にしたい仲間である。次回の集いも一人も欠けることなく集まれるよう願いたい。