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一陽来復

「ずいぶんと日が長くなってきたわねー」
「ですね。まだまだ水は冷たいですけどね」
 そんな雑談を交わしながら、工房の会員さんたちと後片付けをする時間が好きだ。一日の仕事を終えた安堵感もあり、穏やかな時間が過ぎる。特に日が長くなり窓から差し込む西日を浴びる頃になると、身も心も温められるような気分になり会話も弾む。そんな時にふと幼いころの記憶がよみがえる。祖母がよく口にしていた一陽来復という言葉を思い出すのだ。
 僕は小学校低学年の一時期、祖母と二人で暮らしていたことがある。祖母は戦争未亡人で、某自動車会社で男性と共に現場で働きながら、二人の子供を育てた苦労人である。その祖母が結婚と離婚を繰り返す娘に振り回される孫を不憫に思い、引き取ってくれたのだ。こんなことを書くと同情を誘ってしまうかもしれないが、当時、自分の境遇を不幸だと嘆いた記憶はない。僕は祖母に愛されているという自覚もあったし、僕も祖母が好きだったからだ。祖母が休みの日はどこへでもついて行き、二人で手をつないで離れに帰ってきた。そして道すがら祖母はいろんなことを教えてくれた。その一つが一陽来復という言葉だった。
 たしか冬至に近い頃だったと思う。二人並んで、今まさに沈もうとする夕日を眺めながら、これから毎日米粒一つ分ずつ太陽が沈むのが遅くなり、昼の時間が長くなるというようなことを説明してくれた。そして「稔も今はつらいかもしれないけど、きっと良い方向に向かっていくから」と頭をなでてくれた記憶がある。今から思えば祖母はそんな教訓めいた話が好きだった。祖母は頭の切れる人で、弁もよくたった。母や叔父も祖母の前では小さくなっていたような気がする。
 後に高校生になった僕は、井上靖の『しろばんば』という小説に出会う。ご存じの方も多いかもしれないが、主人公の洪作は、伊豆半島の湯ヶ島の蔵で、おぬい婆さん(血のつながりはない)と二人で暮らしながら、愛情に包まれて成長していく物語である。高校生の僕はこの小説を読みながら、自分の幼い頃に過ごした祖母との濃密な時間を思い出したものだった。
このエッセイを書いているうちに懐かしくなって本箱から『しろばんば』を探してみた。読み始めると黄色に日焼けしたページをめくる手が止まらなくなってしまった。
 小説の中に「土蔵にいる限りは、洪作は自分一人きりでも淋しいと思うことはなかった」という一文があった。僕も離れで一人ぼっちで、祖母の帰りを待っていても淋しいとは思わなかった。おぬい婆さんの自慢料理はライスカレーで、特別な日に供されるカレーを洪作少年は喜んで食べた。稔少年も道江ばあちゃんが作るオムライスが大好物で、よくねだったものだった。
 読んでいるうちに思い出したくない記憶も蘇ってくる。両親がそろっている母屋の従姉に妬ましさを感じ、意地悪や嫌がらせをしたこともあった。叔父叔母に甘えたり反抗して祖母を困らせることもあった。同級生たちにいじめられもした。でも嫌なことがあっても離れに逃げ込めば安心できた。それはやがて帰ってくる祖母が慰めてくれることがわかっているからだった。
 その祖母はもう二十年前に天国に旅立ってしまった。でも祖母と過ごした日々は自分の中に深く刻まれていて、成長する中で大きな影響を与えてくれていることを、今更ながらに感じる。

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