ぼくのかんがえたさいきょうのギャルゲー
最初に言っておこう。私はギャルゲーの類は0.5本ぐらいしかやったことがない。周囲に元ギャルゲーマーがたくさんおり、話を聞いたり、さんざん勧められた経験ならある。
※なおギャルゲーとはいろいろな女の子たちと出会い、仲を深め、主に結ばれるまでを自分で操作して楽しむゲームである。
コンピュータゲームの技術の発展に伴いゲーム内に登場するキャラクターの表現力も上がっていった。その中で、魅力的な女性が登場する(もしくはプレイヤーキャラとして操作できる)を売りにしたゲームが登場するようになった。これがギャルゲーである。(ギャルゲー Wikipedia 2020/05/10)
まさかの0.5本とはあるゲームにおまけでついていたギャルゲーを一本プレイしただけだからである(つまりそのゲームソフトの趣旨とは無縁)。ちなみに何度やっても主人公がヤ○ザになってしまい女の子と結ばれることはなかった。
あ、違うわ。やったことある。離島に閉じ込められ、そこでは陰惨な殺人事件が起こり、現場で知り合った女性と…………いや、これはミステリーか。
しかし一時期のギャルゲーブームは本当にすごかった。王道のロープレなどを中心にやっていた学生時代の私は、近所のゲームショップの棚がだんだんと萌え系の女の子のパッケージに蚕食されていくことに恐怖を覚えていたのだ。しかも周囲の野郎が次々とギャルゲーにハマっていく。いずれ世間のゲームショップはギャルゲーしか置かなくなるのではないか、と。
幸い今もロープレや格ゲー、サスペンスものやパズルものは存在している。ギャルゲーに淘汰されずに済んだ日本のゲーム文化はもっと大事にしていくべきだ。
ところでである。私はギャルゲーが好きでない一方で、ギャルゲーにハマってる人たちが楽しそうだなぁと思うことがある。
楽しみ方は人それぞれである。女の子のキャラがかわいいからという理由なら女子ゲーマーたちもプレイするし、ひたすらに悲劇に彩られた感動ストーリーに胸を打たれるという人もいる。
しかし私がギャルゲーをやらない最大の理由は「全員と結ばれる可能性があるってどういうこと?」という疑問ゆえだ。
意外に硬派な私は、登場する彼女候補のキャラクターが何人も存在することに納得がいかない。ひとりでええやろと。周回プレイして全員と結ばれるエンディングを見る? この浮気者めが!
そしてこれは(異世界転生ものも含め)よくある批判だが、「どうして何の努力もしていないのに主人公の男が美少女たちからモテまくるのか」というご指摘に半分は賛同しているため。
もちろん努力しなくたって美少女からモテることはある。割れ鍋に綴じ蓋で性格がぴったり合うこともあるだろうし、そもそもゲーム中で描かれないだけで主人公が超絶イケメンの可能性もある。
面食い(死語?)はいつの世もいるし、その可能性を否定する気はないのである。
しかし好きな女性と結ばれるために努力する姿を見たいなぁと思う気もする。優しくされれば女の子はみんな落ちるなんてちょっとナイーブ過ぎやしないかと。男だってみんな色じかけすれば落ちるみたいな極端な描かれ方をすれば業腹だと思わないだろうか。
(※なお何らかの努力をしている描写のあるギャルゲーの主人公も存在している。)
それを言い出すと見たい良い努力と目に余る悪い努力の分類作業をしなければならなくなるのでこの辺で留めておこう。いや、努力して高嶺の花を手に入れるというのも実にロマンティック・ラヴ的なストーリーで賛否ありそうなのだが。
そこで、である。私はギャルゲーを何本もプレイしている友人に提案した。
「私がギャルゲーを制作してみたらどうだろう?」
ほらゲーム作成キット結構あるし。俺が作ったらそこらのギャルゲーとはわけが違うぜ。
私は調子に乗ってそう豪語した。
「まずプレイ開始時に主人公のルックスポイントという隠れ数字が設定されていて、これが高いとほとんどの女の子と(付き合えるかは別にして)恋愛できるが、低い数字になると多数存在する彼女候補の女の子たちのひとりとしか恋愛ができない。いや、0人だとさすがに苦情くるやろ? でさ、女の子の好感度も簡単に上がってばっかりじゃなくて……」
「そんなゲーム誰もやりたがらねぇよ」
確かに(笑)
我ながら創作者としてのセンスゼロ。
イケメンと恋ができる乙女ゲーム(なぜイケメンゲーと呼ばれないのか謎)だって人気があるし、結局誰もがゲームのなかで夢を見たいのだろう。まあ、それもいいかもしれないね。