ある日の喫茶店の出来事
20代半ばのまだ若かった頃。狭いアパートの一室に住んでいた私は、転職用の1点もののエントリーシートに記入するためわざわざ近隣の(遅くまでやっている)チェーン喫茶店へ赴いていた。部屋が散らかっていたのもあるが、そもそも狭すぎて私には物を書く空間として利用が難しかった。
ひとりで喫茶店に長居した経験はあれ以来ない。黙々と作業していたため、周囲の会話がよく聞こえてきたのを覚えている(さっさと書類書け)。
時刻が遅くなり、人が減ってくると斜め前の席に座ったアラサー世代の女性2人の声が聞こえてきた。どうやら片方は今アプローチしている男性がいるらしい。
しかし彼の話をしているその表情は苦々しい。
「(彼が言うには)今はゲームが一番なんさ。でももしそれがなくなったら、次に気が行くのはお前やと思う……だってさ」
その言葉が聞こえてきて「今すぐ別れなさい!」と言いたくなったがぐっと堪える(いや、さすがに言わなかっただろうけど)。
もちろん話を聞いているもうひとりも苦笑い。
「もう少し、頑張ってみて」
「うん、頑張ってみる」
と声をかけあって退店していったふたり。そんな相手と結婚したら後々大変そうだと思ったが、まあ、そこだけで人のことは判断できないか……。
しばらく経つと大学卒業したてほどの若いカップルが登場。
彼女が「旅行に出かけない?」と彼に提案する。彼は構わないと意思表示するのだが、彼女は笑いながらも何か言いにくそうにしている。
「あのさ、海外とかどう?」
「海外?」
「うん、台湾行きたい」
「いや、海外旅行はお金もかかるし」
「そのためにこれから節約していけばいいやん」
彼氏は若干戸惑っている。台湾旅行なら安いというが、彼はそこまで想定していなかったらしい。
「じゃあさ、節約するんだったら、もっと遠いところ行こうよ。例えばアメリカとか」
「いや、さすがにそこは遠いし、お金かかり過ぎるよ」
議論は平行線へ。これは彼女の悪手だなぁ。彼も諦めさせようと言っているのかもしれないけど(なに謎の実況をしているんだ私は)。
僅かに彼が折れ気味だが、そのまま結論は出ずに退店することになった2人。
面白いオチだったのが、彼女の唐突な発言である。
「あっ、財布忘れてきた」
彼、溜め息ひとつ。
「節約しよって言ってる側から俺に出させるのかよ」
「ごめーん」
甘え上手な彼女だなぁと思った。わざと財布忘れてきてたのなら結構腹黒いけど。
盗み聞きはいい趣味ではないが、街場にはいろいろな話が転がっていた。
面白いなぁ。でも、問題なのはエントリーシートが一向に進んでいないことか。
あ、店員さんコーヒーもう一杯お願いします。