音声バカでもなんとか続けられる言語:ベトナム語
この note は松浦年男先生が企画されたアドベントカレンダー 2022「言語学な人々」の 8 日目の記事として書かれたものです。
ベトナム語という言語を学習/研究しはじめてそろそろ 7 年が経ちます。もともと語学が好きだったわけでも、言語学に強い関心があったわけでもない人間としては、ここまで飽きずにひとつの言語を続けられているのは結構な奇跡です。これは、ぼく自身の嗜好とこの言語の特性がたまたまよく馴染んだおかげだと思います。
ぼくは昔から歌うのが好きで、とくに大学入学後はアカペラと呼ばれる声だけでつくる音楽に没頭しました。アカペラを練習するときは、素人なりにうまくなりたいので、プロの方々がどのような創意工夫をしているのか自分なりに分析するという作業をよくしていました。プロの収録音源をもとに各旋律を譜面に起こしてどんな和音やリズムがもちいられているのか考えてみたり、各旋律をどのような節回しで歌っているのか細かく聞いてみたり、というようなことです。思えば、いま研究でやっていることはこの習慣の延長線上にあるのかもしれません。
上のような経緯があってか、言語に接するときもぼくはやたら音にばかり気をとられる傾向にあります。学部生のころ、研究室のならわしで 4 つほど言語を選んで初級だけ学んだことがありました。ところが、だいたいどの言語でもはじめの 1-2 週の発音の部分はすごく楽しく受けられるのですが、そのあと文法解説にはいると途端に息が切れてしまいます。また文法事項よりも、この語や句はどのように発音されるのかのほうが気になってしまい、肝心の内容が頭にはいらないということが続きました。
ベトナム語を選んだのは、そんな「音声バカ」でも無理なく楽しく続けられる言語だったからです。なにせ、ふつうなら 1-2 週で終わるはずの発音の内容が 3 か月も続くのですから。それほど発音が豊富な言語なのです。文法事項については系統だてて教えるようなことがそれほど多くありません。極端な話、単語の意味や機能を知ることと、語順が日本語と逆(主語→動詞→目的語、主要部→修飾部)[1] であることを意識すれば、文法的な内容はなんとかなるのかもしれません。むしろ、文法をやっている間も、綴り字をみて発音をすらすら出せるように訓練する必要があります。語学として学ぶ際にとにかく音に集中することができるので、音声バカとしては非常に都合のよい言語だったわけです。
さて、発音が豊富で面白いというのではじめたベトナム語ですが、いまでも飽きずに続けられているのには、どうも歌を練習する感覚で取り組むことができるという点がありそうです。こう言うと、言語学を知っている方は「声調」のことを思い浮かべるかもしれません。声調というのは語にくっついている「メロディー」のようなもので、同じ /ta/ のような語でも高いメロディーで言うか、低いメロディーで言うか、上がっていくのか、下がっていくのかなどで意味が変わる、というものです。以下に語例と、それぞれの声の高さの変化を示します。(ベトナム語の発音は地域によってガラッと変わるので、ここからは発音の例を示す場合、首都のハノイ弁のものを示すことにします。)
たしかにこの声調のような特徴は非常に音楽的です。しかし、ぼくがベトナム語をとくに音楽的だと感じるのはこういったメロディーが規則的なリズムに乗っかって母音や子音のような「歌詞」と組み合わさるさまにあります。ちょっとよくわからないと思うので、順を追って説明しましょう。
まず、ベトナム語では「音節」と呼ばれる単位で音を区切ったり、数えたりします。日本語では俳句などの句の長さを数える際につかう「拍」という単位がありますが、これは音節より少し小さい単位です。たとえば、「ベトナム」という語は日本語では 4 拍と数えますが、ベトナム語では "Việt Nam" という 2 音節になります。音節の定義は難しいのですが、ざっくり「一息で発音される音のまとまり」と考えていただいてよいかと思います。
で、どうやらハノイ弁ではこの音節が三連符のような一定のリズムをもっているようなのです。たとえば、"ta" という語は a がこの三連符全体を占めるように長くのばします。"tam" のように a のあとに子音がくると、その子音のためにちょっと時間を分けてやって母音 a はやや短くなります。"toan" のように a の前に別の母音が添えられると、やはりその母音のために時間を分けてやって母音 a はさらに短くなります。"tăm" のような音節では、母音 ă よりもそのあとの子音のほうが長くなります。以下にこれらのリズムのイメージを譜面で示します。
上の例ではリズムだけ考えましたが、ここにさらに声調によるメロディーを付加してみましょう。たとえば、"tá", "tám", "toán", "tắm" のように末尾で上昇するメロディーをもつ音節を譜面にすると以下のようになります。このように、声調によるメロディーと母音や子音からなる歌詞を互いに対応させることで、各音節の発音の様子をうまく表現できます。
ここで、母音や子音に高低の音程が振られるという点は日本語も同じではないか、と思う方もいるでしょう。たしかにそのとおりで、日本語の場合、七五調などの句を数える単位である「拍」に音程が振られます。ただし、音程といっても高いか低いかの二通りしかなく、その音程に割り振られる歌詞の種類もずいぶん限られます。わざわざ楽譜にするありがたみが薄いような気がするので、個人的にそこまで音楽的には感じないのかなと思います。
いいたいことをまとめますと、ベトナム語の発音を勉強するということは、音節という拍子に乗ってメロディーと歌詞がいろいろな形で組み合わさった譜面を、そのとおり歌えるよう一生懸命練習する作業であるとぼくは捉えています。元アカペラ青年、もとい音声バカはこういった作業自体を楽しんでこなせたので、なんとか飽きずにここまでこの言語と付き合ってこれたのでしょう。こういう嗜好の方が世間にどれくらいいるのかわかりませんが、そういうひとにとってはとても楽しい言語だと思うので、興味があればぜひ学んでみてください。