【暫定版】無罪判決に対する批判についての覚書
※9月21日午後9時半ころ、加筆修正。
※9月23日午後3時ころ,加筆修正。
■東京高裁のある無罪判決
報道によると、2014年9月19日、東京高裁は千葉地裁が有罪と認定した強姦事件(懲役4年6月。尚、被告人は27歳で相手は中学生とのこと。)について無罪判決を出したとのことです。
強姦罪に問われた27歳男性に逆転無罪の判決 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/20140919-OYT1T50130.html
※【追記】neeben54先生の一連のツイートによると,読売新聞の報道内容は裁判所の判断(判決文)を正確に要約していない可能性があります。
"話題になっているらしい強姦事件の無罪判決を入手。"
https://twitter.com/neeben54/status/514171231067582464
■ネットでの反応
本件については、ネット上で幾つかの批判が為されています。
そして、(特に弁護士から)批判に対する批判も為されています。
強姦罪と合意について
http://togetter.com/li/721778
※【追記】このまとめは,現在,削除されているようです。
■本稿の目的
本稿は、このような議論を行うための前提となる情報提供を目的としています。
■前提となる知識の整理・その1(刑法総論・各論)
強姦罪については、刑法177条が規定しています。
(強姦)
第177条
暴行又は脅迫を用いて13歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、3年以上の有期懲役に処する。13歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。
被告人が刑法177条について有罪となるためには、大前提として、この刑法177条が規定する条件(これを専門用語で構成要件と言います。)を満たしている必要があります。
つまり、例えば、暴行や脅迫が為されていなかった場合は、「暴行又は脅迫を用いて」という条件(構成要件)を満たしませんので、刑法177条で有罪となることはありません。
※ 尚、犯罪が成立するためには、刑法177条に明示された条件以外にもいくつかの条件を満たす必要があります。例えば、本件との関係性は薄いですが、因果関係が認められることですとか、正当防衛が成立しない(違法性が阻却されない)ことですとか、責任能力が認められることなどです。
■前提となる知識の整理・その2(刑事訴訟法)
簡単に言うと、現在の刑事訴訟法では、検察官が「被告人は有罪である」という主張&立証をし(尚、法律の世界では「主張」と「立証」は全く別物です。)、弁護人が「そうではない」という主張&立証をします。
そして、中立の立場である裁判所が、検察官の主張&立証が十分になされているか(特に、合理的な疑いを容れる余地がない程度の立証が為されているか)を判断します。
裁判所は、原則として、検察官または弁護人が提出した証拠をもとに、判断を下さなければなりません。つまり、基本的に、裁判所は検察官や弁護人が主張&立証した範囲の中で有罪 or 無罪の判断をしなければなりません。
この検察官の主張&立証が不十分な場合、裁判所は無罪の判決を出します。
被告人がいかに「怪しい」人であったとしても、検察官の主張&立証が不十分であれば、裁判所は無罪判決を出します。「疑わしきは被告人の利益に」という有名な法諺を聞かれたことはないでしょうか?
これを専門的に言い換えれば、有罪の立証責任は検察官にある、ということになります。
このような考え方は現代社会ではほぼ共通の制度として成立しており、大半の諸外国でもこの法制度が採用されている「はず」です(すみません、外国の法制度は不勉強でして……。)。
■【加筆】ある裁判官のお言葉
「もちろん、多くの被告人は、真犯人なのに否認してなんとか罪を逃れようとするであろう。そういう被告人にとって、私のような裁判官は、これは甘い、付け込めると考えるであろう。しかし、それでよいのである。本当に無実の者を有罪にしないことが大切なのである。真実、有罪の者をある程度手間をかけて有罪にしてもかまわない。ごくまれには、真犯人なのに無罪にしてしまうこともあろう。これも不正義の一つである。しかし、いくら真犯人であっても、証拠がなければ、あるいは証拠が不十分であれば、無罪とせざるを得ない。『疑わしきは罰せず』の世界なのである。したがって、審理を尽くすことに遠慮はいらない。これが刑事裁判の核心である。」(原田國男『逆転無罪の事実認定』〔勁草書房,2012年〕13頁)。
■今回の判決の何がおかしいのか
まず、非法曹の多くの方々が批判されていることは、「無罪という結論がおかしい」ということです。
ざっと見る限り、この「無罪という結論がおかしい」という方々は「合意があるという裁判所の結論がおかしい」と批判されています。
そして、このような批判の中にもいくつかのご意見があり、
(1)「そもそも、中学生に合意能力があるという考え方がおかしい」というご意見の方と、
(2)「合意があるという事実認定がおかしい(合意があったなら刑事事件になっていない、中学生なら茫然自失となっていただけ等々)」というご意見の方
が多いようです。
このうち、(1)のご意見は立法論です。
つまり、裁判官や検察官、弁護人はあくまで法律に従って行動・判断しなければなりません(法律が違憲無効である場合等は除きます。)。そして、現在の刑法は、13歳以上であれば、合意能力があり得るという考え方を採用しています。
ですから、「そもそも、中学生に合意能力があると考えるのがおかしい」というご意見の場合、最終的な批判の矛先は国会になるはずです(刑法改正を実現するために、一次的に判決を批判するという方向性自体はあり得ると思いますが。)。結局、刑法改正が最大の改善策です。
他方、(2)のご意見は、裁判所の論理がおかしいという批判になります。
上述したように、裁判所は、検察官と弁護人の主張をもとに、検察官と弁護人が提出した証拠を踏まえ、検察官の主張&立証が十分になされているかを判断します。
この判断の結果として、裁判所は、今回、無罪判決を出しました。つまり、裁判所は、検察官の主張&立証が十分ではないという判断を示したのです。
ですから、裁判所のこの無罪判決の当否を考えるに際しては、検察官の主張&立証のどこが不十分だったと裁判所は考えているのか、を検討する必要があります。
そうしますと、少なくとも、判決文を見なければ正確な批判はできないはずです(判決文に必ずしも十分な情報が掲載されているとは限りませんので、判決文は必要条件の1つに過ぎませんが。)。
その上で、
(1) 検察官の主張&立証が十分であったにもかかわらず、裁判所が不合理な判断をしたのか
もしくは
(2) 検察官の主張&立証が不十分で、裁判所が法に則って判断をしたのか
を考えるのがフェアな議論だと思われます。
■参考情報
より問題を深く考えるために、ご紹介。
シンポジウム「性犯罪の無罪判決を検証する」
http://togetter.com/li/381536