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語彙数っていうのはモニターの画素数みたいなもんだ。

 こんにちは。燐酸えすてるです。モンハンワイルズの情報が続々と出てきていて、自分もモニターを買い換えようかなぁと思っていた時の事。

思い切って4Kでプレイしたいよなぁと思い、調べていくうちにモニターの画素数やフレームレートとの関係など、以前より詳しくなれた気がする。と、同時に思った。“モニターの画素数って語彙力に似てるなぁ”って。

何言ってんの?まぁ待ちなさい。早まるな。話せば分かるから。

ゲームの世界を映し出すモニターは、そっくりそのまま現実世界を映し出すモニターだ。そしてコンピューターからモニター側に送られる情報は誰がどうしても均等に入力されているはず。けど情報量にモニター側が追いついていなければ、画素数が少なくガビガビで何が映っているかも分からない映像を見ることになる。一方で4Kのように画素数が多ければ、それだけ繊細に世界を知覚・表現することができる。

同じ能力のコンピュータが画素数を増やして頑張ってみると、その分処理する情報が増えるので、必然的に単位時間あたりのフレーム数(FPS)は少なくなる。つまり、動きが遅くモッサリします。丁度我々も同じように物事を詳細に理解しようとすると時間がかかる。一方で深く理解せず何となくでもいいから手早く理解したいという人も多い。そういった場合は簡素な語彙に絞られる。パフォーマンスモードってやつだ。

よく“賢い人は見えている景色が違う”なんて聞くが、言わせてもらうなら、見えている"景色"は同じである。違うのは見えている物をどのように捉えるか、そこに何を見出すかだと思う。

自分の中に言葉が多ければ、目の前にある物、或いは内面の心象をそれだけ沢山の言葉を使ってより詳細に表現することができる。
鮮明な映像はぼやけていた物を暴き、その正体をありありと映し出す。同じ色にも陰影やむらがある事に気がつける。そうして段々とそれらを楽しむ事ができるようになる。

したがって、言葉は人を豊かにする。と有体な事を言いたいが、それでは抽象的で大雑把すぎる。俺的には、言葉は「物事の"認識と表現"を拡張する」。そして"認識と表現"は表裏一体であり、殆ど同時に起こる事象として、それぞれ異なる言語能力(この場では語彙力のこと)を持つ者に対してそれぞれ特異的な世界を見せてくれる。これが我々の持つ"見え方の違い"の正体だと思う。
世界の状態をより詳しく、より正確に認識することが正しい事だとするならば、つまり見かけ上、語彙数が多い人は少ない人に比べて世界を正しく認知する事ができるって事になりますね。

あ、今宇宙に行っていた方は帰ってきて下さいね!宇宙旅行の感想は今度聞かせて下さい。

 人が言葉を生み出すのか、言葉が人を生み出すのか。どっかの大学の試験にそんな問があったような無かったような🏫

最後に小話。かなり端折ってますが、高校の時の物理の先生が言っていた。
「皆さんはりんご🍎が目の前にあったら何を考えますか?何でもいいのでできる限り思い浮かべて下さい。」
「赤い、丸い、美味しそうなどの視覚的情報。ふじ、紅玉、セカイイチなどの品種について考える人もいるでしょう。他には白雪姫、知恵の実、ニュートンの逸話なんかをイメージする人もいるかもしれないですね。」
「ここで沢山思い浮かべることができる人は、多分、賢い人です。けど、そんなに沢山思い浮かべられなかった人も残念がらないで下さいね。これから色々勉強してそれを増やしていけばいいんですから。」

以上独り言でした。またどこかで会いましょう。

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