「学校の勉強が役に立たない」と言っている貴方、"勉強"し直して来て下さい。〜『バカと無知』の感想〜
こんにちは。2つ目の投稿です。先日、橘玲さんの『バカと無知』を読み終わりました。本を読みながらこんなに爆笑したのは人生で初めてです。笑ってるのは多分私含めたやばい人だけでしょうが。
※『バカと無知』の感想になりますが、必ずしも本著書の内容と一致する話をする訳ではありません。主に上に示した目次の内容に関して、本著書の意見を踏まえている程度のものです。ネタバレは最小限です。引用だけです。
1.ホモ・サピエンスは頭が悪いらしい
自分は悪くなくて、相手が悪いって考えちゃうやつですね。私もあります。結局、人間は脳内における神経伝達物質の奴隷であって、嬉しいも楽しいも悲しいもムカつくも全部ただの化学物質でしかないと考えると、目の前のものに一喜一憂したり他人に揺さぶられてる自分が馬鹿に見えてきますよね。
だから感情は邪魔ですってのも虚しいんで、そんな馬鹿な自分を認めてみようって思いますね。これが難しそうに見えて、案外簡単でやっぱり難しい。でも、私は例えば下のやつなんて大好きですよ。特にベンゼンのスタイリッシュな角が()
私たちはこの世界を上手く認識出来ない。なぜなら自己中だから。自分というフィルターを通すとどうしても景色は屈折しますよね。私の友達もね、一目惚れで付き合ったんだけどよく見たらブサイクだったなんて、酷い話ですよ。どうゆうこっちゃねん。全反射もいいとこやろ。
でもまぁ、ホモ・サピエンスの遺伝子は20万年前から変わってないし、変わるわけが無いですから。社会の形態は刻一刻と変化していくのにも関わらず、頭の中じゃウホウホ🦍やってんですからね。そりゃあバグりますよ。現代社会はとうの昔に人間のキャパシティを超えてると思いますよ。
だからってもう自分よがりに生きようとか、相手に何言っても無駄だとか、直ぐにあきらめて投げやりになるのは辞めましょうと言いたい。人間はデフォルトで馬鹿なだけであって、その中で賢い人でいて下さい。屁理屈こねたって私たちは今ある社会に生きるしかないし、そんなものはとうの昔から存在していたんですから。
そういった分別を要求する所からも本著書および本記事はR18でいいと思ってます。おへそ曲がりシュリンプ🦐にはちょっと早いかも。決して他意はありません。他意はないんですよ。
2.バカは風邪をひかない
「無知の知」なんて言葉がありますけど、「無知の無知」は無限地獄でしょうか。「知らないことは知れない」ので私たちは知らないことについて何も話せないし、考えつきもしないのでしょう。丁度知りもしない現象をGoogle先生に尋ねられないようにね。
所詮、人ひとりの中にあるものはその人が人生の間に”必死こいて”集めてきたものでしかない。だから、私たちは知っていることについてしか考えられない。まさにこの意見も誰かの焼き直しかもしれないし、いいとこ「塵の掻き集め」でしかない。じゃあ何だ、私の人生は床に落ちてる犬の毛🐶と変わらんとでも言うのか?まぁ結局、私たちは箱庭の中でしか物を語れないんです。あ、前世はカエル🐸でした。
であるからして、往々にして「学校の勉強は役に立たない」と宣う人たちがいる。大勢いる。”魔法少女まじか☆マジカ”ですねこれは。
まぁそんな経験をしてきたら否応なしに使えないって思っちゃいますよね。貴方ひとりが”必死こいて”集めてきた意見・経験という箱庭の要素だけで割り出された主張を断定するのは少々怖いと思いませんか?例えるなら、家に自然発生したG様を仕留めきれないまま布団に入り、次の朝を迎えるような。みんなが言ってる?ぜひ本著書を読んでみてください。強くオヌヌメしますよー。
「学校の勉強は役に立たない」と思ってしまうのは、「学校の勉強を役に立てる力がない」からではないでしょうか。役に立っている場面を知らないとか。その恩恵のデカさを知らないとか。役に立てる方法を知らないとか。そう、「知らないことは知れない」んです。
具体例を見てみましょう。数学は役に立たない?その光ってる板は数学の塊やぞワレって話は俗すぎますかね。知らなくても使える、まぁそれで問題ないと思います。むしろ全部理解することなんてできまへん。
そうではなくて、
因果関係と相関関係の違いが分からない
演繹と帰納を使いこなせない
必要十分の関係が分からない
場合分けができない
意味を定義しない
仮説を立てられない
実験ができない
おっぱい関数が作れない(!)
そんな大人が目に余ります。見渡す限り。わけいってもわけいってもハゲ。現実はそんなもんですよ。
上記に当てはまる人は知らないところで損をしている(なんかショート動画のタイトルみたい)、と言うよりかは、正確には当てはまらない人だけが無用意な損害を受けずに済むって方が適切かもしれないですね。ん?なんか顔についてますか?
こうした能力がない人は、
悪い人に騙される
人の言うことが理解できないし自分の意見も理解して貰えない
抽象と具体の違いが分かんない
よく分からないクレームを入れたりする
主語がデカい
誤解される
予測も立てられない
それをやる根性もない上に次に進めない
いつまでも乳に執着する(!)
私は、今まで何となく感じてきた違和感が『バカと無知』を読んで解消されました。そうかホモ・サピエンスってそろそろ限界なんだなって。そこの貴方も乳ばっかり見つめてないで、もっと自分を見つめなおしてください。
いや、唐突な下ネタ(上ネタ?)失礼しました🙇♂️
私はこのことを多くの人に知ってもらいたいので、こうしてnoteで公開しています。まぁ「知らないことは知れない」なら、これも徒労であって水泡に帰すのでしょうか。なんや頭痛が痛いみたいやな。
つまり、「バカは風邪をひかない」ってやつ。そう、「バカは風邪をひいていることに気づかない」らしい。なら私も、風邪ひいた時だけバカになってみようかな👈
3.成功者バイアス
「知らないことは知れない」って何回言ったでしょうか。多分三回くらい。ならば、逆を言うと「知っているならば知れる」ということも成り立つのかな。必要十分が~とか言っておきながら、これはもとの対偶ではないので成り立つ保証もないんですけどね。
多分成り立つかなーと思ってます。多くの物事について知っていて、すでに知識がたくさんあれば「じゃあ、あれはどうゆうことなんだろう?」とか引っ掛かりがあって、気になって調べるとか、それでもだめなら人に聞くとかして知識が加速度的に増えていく。どっかで聞いたんですが、何か物事を理解するというプロセスは、「自分の中にあるものと新規の知識が結び付けられることである。」らしいです。うん、なんか納得いくかも。そんな感じがする。点と点が線で結びつくみたいな。点が多ければそれだけ線の引き方は増えるし。図形は苦手だったなぁ。
こうしてみると、知識のない人は、あ、知識に限らないかもしれませんが、賢い人は放っておいても勝手にどんどん賢くなっていくけど、ちょっとおバカな人はおバカなまま、最悪もっとアンポンタンになってしまう恐れがあるということになってしまう。なりまくってしまう。そうすると、賢い人とおバカさんの間にどんどん差が付いて行っちゃう。なんだか教育格差とかそんな話に近づいて行ってる気がするゾ。
それに加えて「類は友を呼ぶ」、類友とかいう残酷な理のために賢い人、おバカさん、それにそこそこ普通の人も、誰だって自分が正規分布のどのあたりに位置しているのかわかんなくなる。誰だって、いつだって、必ず自分自身を経由して物を考えるんだから。自分が変だなんて、そんなに考えないですよ。変とか言われて「ㇸへっ」とかオタク笑いしてる人なんて私は知りませんよ。ㇸへっっへへへ。
そんなこんなで、みんな頭いい人の言っていることはわかんない。うん、わかんない。けど、みんな頭悪い人の言っていることもわかんない。自分と比べてね。だから「頭がいい人は何でも知ってる!」、「頭がいい人は正しい結論を導くはずだ!」って信じてると、時々裏切られる。嗚呼、あんなにかわいかった甥っ子が、なんということでしょう、立派などクズに大変身!なんてことがあったりなかったり。待っててね、私がホグワーツに通って元のかわいい甥っ子に戻してあげるからね。カワイ・クモドレ!🪄︎︎✨
頭のいい人、人生うまくいってそうな人、大富豪。そんな人達の意見を真に受けて行動してみるのも大事だと思います。行動が一番。だけど、その人たちがどうしてうまくいってるのか、本人が言っていること以上によくよく観察しないとあっちゃこっちゃ曲がりくねった”事実”を受け取ることになってしまうかもしれません。目が悪い人が眼鏡をかけていることを忘れているとか、8/3は8月3日だとか、アソパソマソは粒あん派だとか。事実って何でしょう?
4.いったん終わります
ここまでで大体本著書の前半部分が終わるんですが、ちょっと長いのと、この先の自尊心とか差別と偏見とか、記憶の正確性とか少し今の話題とそれるのでこの辺でい締めたいと思います。今回は主に賢さについて書きました。あと、今後自分の書く話題がなくなってしまうかもしれないので、「出し惜しみ」をしたいってゆうのもあります。ここまで読んでくださりありがとうございました。ぜひ感想などをお待ちしております所存でござる🕊
面白かったよ、新しい発見があったよという方はフォローよろしくお願いします。また次の記事でお会いしましょう🐥