![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/159969712/rectangle_large_type_2_f32c0bfa3a7efa2cbe0609893ca12f7e.jpg?width=1200)
この世はマジで退屈、個性が世界救うのさ〜ミュージカル「ビリー・エリオット」あいしてる〜
注意:ネタバレを含みます!
ミュージカル ビリー・エリオット〜リトル・ダンサー〜東京公演が幕を閉じて早5日。イギリスの炭鉱町・イージントンに生きる人々が皆で誇り高く歌い上げる声が今も胸の奥で鳴り響き続けている気がする。いのちをかけた戦いに敗れ地の底へとむかう彼らが、ビリーとともに観客の私たちのことも「これからがんばれよ、俺たちも生きていくからな!」と送り出すかのように照らしてくれたライトが胸の奥で灯り続けている。ずっと感動が続いている。まだ感動が自分のなかに続いているこの気持ちをどうにか長く残しておきたくて結局何が書きたいのか結論がわからないままとりあえず残さねば、と文章にしてみている。とにかく全部とっておきたいのだ。観たこと聴いたこと感じたこと興奮した気持ち全部丸ごととっておきたい。イージントンに生きた人々がかっこよくて大好きでたまらない。
生まれ育ってきた故郷といのちをかけて続けてきた仕事、仕事と一言で言っても彼らにとってのそれはその町で生まれてからずっと生きるための唯一の手段で、自分の存在価値で、誇りで、正義で、家族や友達・仲間と一緒に居るための繋がり・絆で。それを奪われ、仲間だった人たちとの分断の末に町ごと全てがなくなっていくことを想像するとどんなに悔しく腹立たしく悲しいことだろうか。
無知な自分では想像しきれていない気がしてもっと彼らを解りたくなってイギリスの歴史なんかを調べてみたりしているが(歴史の授業が嫌いすぎて文系なのに理系クラスに混じって地理を選択していたような人間なので学生当時の歴史の先生はひっくり返るだろうな)それでもきっとわたしなどの想像を遥かに超える痛みのはずで、一年に及ぶストによる貧困も深刻だ。
そんな状況で、ビリーというひとりの少年が好きなことを好きな場所でやって自由に生きられるよう、家族や町の人々はビリーを自分たちの住む場所とは全く別の世界へ送り出す。
ビリーがオーディションへ向かった場面はコミカルに描かれているが生まれ落ちた場所・職業で決まる階級の違い、ビリーたちとバレエのオーディションを受けにくる坊やたちとの生きてきた世界の違いをまざまざと見せつけてくる。同じ国の言語なのにお互い何を言ってるのかわからないくらい言葉遣いも全く違っていて、普通は交わることはない世界。
そんなあたらしい世界へひとり旅立っていくビリーの姿には大きな勇気をもらうし、自分たちの置かれた状況を差し置いてビリーを優しく送り出し、誇り高く生きていこうと負けてもまた歩みを進め始めるかっこいい大人たちの姿には何度みても涙してしまう。ここの光と陰の対比がどうしてもやるせなさと希望がぐちゃぐちゃになって胸を刺してくる。
この作品は労働者の権利やジェンダー問題等の社会的なテーマから家族間の関係のような小さなコミュニティの問題、ビリーやその兄トニー、お父さん個人の成長などさまざまな要素が複雑に絡み合っていて見ていて考えることが尽きない、そこが面白いし見た後にもずっと何かが胸の奥に引っかかって残り続けている要因のひとつなのかもしれない。
ビリーエリオットはあらすじだけサッとみるとバレエ少年が夢を叶えるシンデレラストーリーのようだけど全然そうじゃない、1980年代イギリスの炭鉱町に生きる人々みんなの物語であり現代を生きるわたしたちの物語でもある。
そしてもちろんエンターテインメントとしての魅力が半端ないこともビリーエリオットの最高な部分。大切なことを楽しくやさしくまっすぐ心に伝わりやすい表現で描いてくれるのがミュージカルの良いところなのだと再認識させられる。
全てが名シーン・名ナンバーの連続で、観る前はさすがに何公演も続けてみたら疲れそうだし少しは飽きるのではなどと思ったりもしたが公演中1秒も飽きることはなかった。例えばしんとして緊張感のあった舞台にビリーが鍵を拾ったタイミングでバレエガールズが叫びながら入ってきてがらっと場面が切り替わる、みたいにシーンの進み方ひとつひとつまでなにかリズムがあるようで、にぎやかなダンスシーンがあったかと思えばぱっと場面が切り替わってストレートプレイのような白熱の会話劇をみれたりもする。本当に1秒たりとも飽きるタイミングがない。このあと何食べようかなとか明日仕事いやだなとかうっかり違うことを考えてしまう隙も本当にない、これが凄い。
ミュージカルを好んで観るようになって約3年、初めて同じ作品を4公演観に行ったがまだ全然観足りていない気持ちでいる。細かいところまで見どころが満載で観るたびに発見があり、アンサンブルキャストの動きひとつセリフひとつとってもこだわりが感じられる部分がどんどん見つかる。遊びのある演出も多く、その日その時に舞台の上で生きている、その瞬間しか見られない登場人物たちを目撃できる演劇の面白さを実感できる。
何より演者の方々の熱量のこもったダンスや歌に胸が震える。しなやかで美しくもエネルギーがほとばしるようなバレエ、少年たちの純粋で心が洗われるような歌声、地の底から響いてくるような大合唱、タップや小道具で床を打ち鳴らす音から身体に伝わる振動。こどもも大人も関係ない全身全霊のパフォーマンスの全てが素晴らしく胸を打たれた。
物語の最後、フィナーレの場面で、戦いに負けたひともこれから戦うひとも、大人もこどもも、痩せたひとも太ったひとも男だけどドレスやワンピースが好きなひともダンスが好きなひとも炭鉱をやりたいひとも、みんなが一緒にきらきら光り輝く舞台の上で“この世はマジで退屈 さあ個性を出して” “ありのままで何が悪い” “個性が世界救うのさ”ときらっきらの笑顔で歌って踊る姿が本当に良くて、デビー風に言えば“ウンコみたい”な日常を生きてく上での宝物みたいな記憶になって私のなかできらきらと輝いている。
生まれた場所、時代、生まれ持った才能等によって生まれた時からだいたい人生は決まっていて世界は退屈で不平等でクソだけど、自分らしくあるがままに自分にとって大切なものをひとつでも大切にしていけたら、どんな場所に置かれたとしてもだれもが輝ける瞬間はあるのかもしれない、そんな暗闇を照らすひとすじの灯りのような作品。
ビリー・エリオットあいしてる!