偏り
好きなモノしか観ない偏りがある。
好きじゃないものを認められない偏りがある。
好きなモノしか見えない偏りがある。
好きじゃないものは目に留まらない偏りがある。
好きなモノしか聴かない偏りがある。
好きじゃない音に耳をふさいでしまう偏りがある。
好きがあるから嫌いがあるワケではなく、
好きが増すと、好き意外の色んな気持ちが新たに生まれ増殖し、
全てを呑み込んしまう。
それは決して故意的ではなく、好きに流れ、流れされるうちに吸い込まれ、
追い込まれてゆく。
そして結果的に嫌いを生み出してしまうのではないだろうか。
好きは心地よい。
好きは微笑ましい。
好きは嬉しい。
好きはあたたかい。
でも、好きの最終地点は”憎”しか準備されていない。
ならば、どこへ行く?
脱、好き。
(願い 笑)