大分の国宝・城跡巡り その④ ~昭和の町豊後高田と国東半島史跡巡り~
大分旅行2日目後半。午前中に宇佐神宮参拝を終えてバスで豊後高田にやってきました。
この日の午後は昭和の町豊後高田を散策した後、国宝富貴寺や熊野摩崖仏などを巡ります。
※この記事は前回の続きです。前回をお読みでない方は下記のリンクからどうぞ。
■このnoteを書いている人:sho
日本の歴史・文化・自然・世界遺産、国宝、(続)100名城、日本遺産、建築、町並み、旧街道、映画、日本酒、折り畳み自転車などに興味があります。京都/奈良/横浜/鎌倉/江の島などなど…。
■昭和の町豊後高田
◆昭和の町ロマン蔵
バスを降りて豊後高田に足を踏み入れるとそこは紛れもない昭和の町。自他ともに認める(?)昭和人である私は、懐かしさへの期待で胸が膨らみます。
まずは国登録有形文化財にも指定されている昭和ロマン蔵へ。ここには豊後高田観光案内所のほか「駄菓子の夢博物館」、昭和30年代の民家や商店、学校の教室を再現した「昭和の夢町三丁目館」などがあり、訪れた人たちを昭和の世界に引き込んでくれます。
◆昭和の町散策
昭和の町ロマン蔵に、豊後高田の「売り」であるボンネットバスの待合所がありますが、この日は運休のため昭和の町を歩いて巡ります。
駅前通り商店街を入ると右手に大寅屋食堂があります。この食堂は、昭和55年から変わらない値段で食事を提供してしているとのことで、まさに昭和の食堂。その外観は豊後高田の観光ポスターにも採用されています。
肉の金岡(かなおか)で、「昔なつかしいコロッケ」を売っていたのでこれを食べながら暫く休憩します。
この先には国登録有形文化財に指定されている旧共同野村銀行や昭和の町展示館などがあります。
◆昭和の町展示館
昭和の町展示館は、旧大分合同銀行の建物を利用した展示施設。中には昭和時代に使われた懐かしい生活用具などが展示されています。
「男は黙って…」のビールポスターなどもう懐かしさでいっぱいですね!
ちなみに、ビールのポスターを飾る俳優陣は、右から石坂浩二、中央が三船敏郎、そして左は、顔はわかりますがどうしても名前が思い出せません(笑)。
◆お昼を食べて国東半島めぐりへ
昭和の町をひととおり歩いたのでそろそろ昼食の時間です。来た道を戻り大寅屋食堂に入ります。写真の「ちゃんぽん」は人気メニューで、まだ昼の12時半頃なのに私の注文がこの日の最後でした。
昼食を食べ終えたら次はいよいよ国東半島史跡巡りです。
■国東半島史跡めぐり
国東半島史跡巡りは、国宝の富貴寺、真木(まき)大堂そして熊野摩崖仏が中心となります。バスで回るのは現実的ではないのでタクシーに乗って出発です。
◆国宝富貴寺大堂
タクシーに乗って行先を告げればあとは運転手さん任せ。タクシーは田園風景の中を快調に走り、やがて富貴寺(ふきじ)に到着します。
富貴寺はもっと山の中のうっそうとした森の中にあるものと勝手に想像していたのですが、意外にも道路のすぐ近くにありました。
階段を上って山門をくぐり、拝観料を納めてさらに階段を上ったところにその建物はありました。
その建物の名は富貴寺大堂。九州最古の木造建築物であり日本三大阿弥陀堂のひとつ(所説あり)ともいわれ、国宝に指定されている建物です。
何年も前から来たいと思っていましたが、今ようやくここまで来ることができて感慨もひとしおです。
富貴寺大堂の周りには、大分県指定有形文化財の富貴寺笠塔婆やたくさんの石造物があり、一見の価値があります。
中でも国東塔といわれる石塔は五輪塔にも似ていますが、国東半島独自の発展を遂げた塔といわれています。
富貴寺大堂の正面に向かって右横の木戸が開いているので中に入ります。
中央には国の重要文化財に指定されている本尊の阿弥陀如来坐像があります。また、この日は本堂が改修工事中のため、100年ぶりに観音菩薩と勢至菩薩を伴った「阿弥陀三尊像」の姿で御開帳されていました(期間限定)。
https://www.city.bungotakada.oita.jp/page/page_03122.html
◆真木大堂 9体の重要文化財指定仏像たち
タクシーに乗り真木(まき)大堂に移動します。実は私は今回の旅行前に友人に教えてもらうまで真木大堂のことを知りませんでした。
真木大堂は正式には馬城山伝乗寺(まきさんでんじょうじ)といい、本堂は江戸時代のものですが、昭和40年代に新造された収蔵庫内に本尊阿弥陀如来坐像を始めとする9体の平安仏が安置され、そのすべてが国の重要文化財に指定されています。
収蔵庫の中央には本尊である木造阿弥陀如来坐像と木造四天王立像があり、向かって右側には火炎を背にした木造不動明王立像と2体の童子立像があります。
一方、本尊向かって左側には、水牛にまたがる姿でおなじみであり日本一大きいといわれる木造大威徳明王像があり、「平安の華やかな国東半島の仏教文化を象徴する仏像」とされています。
◆真木大堂古代文化公園
真木大堂には国東半島各地に散在する石塔を集めた古代文化公園があります。富貴寺のところでもご紹介した国東塔のほか、宝筐印塔、庚申塔、五輪塔、板碑、石仏などあらゆる石塔群をゆっくりと鑑賞することができます。
◆妊婦さんでも上れる熊野摩崖仏
この日の最後の訪問地は国の重要文化財に指定されている熊野摩崖仏。そして、ここはこれまでの2か所と違って駐車場から急斜面を歩いて上らなくてはいけません。
最初は川沿いの緩やかな斜面が
階段となりやがて前方に鳥居が見え
その鳥居をくぐると「鬼が築いた石段」
と呼ばれる自然石でできた石段となります。
雨で濡れた急斜面に不規則な自然石の石段のため上を見る余裕はなく足元をを見てぜいぜい言いながら上ります。そしてふと見ると、おお!左手に熊野摩崖仏が見えるではありませんか!
熊野摩崖仏は、向かって右側に「大日如来」(平安時代後期の作・高さ約7メートル)と左側に「不動明王」(鎌倉時代前期の作・高さ約8メートル)の2つの磨崖仏があり、国の重要文化財に指定されている国内最大級の磨崖仏です。
最初は遠くから2体の像を眺め、次に近くに寄って細かいところをじっくりと見ていきます。当時この像を彫った人はどんなことを考えながら彫ったのでしょうか。やはり平和で人々がお腹一杯ご飯が食べられる世の中を願っていたのではないでしょうか…。
熊野摩崖仏を見たら、もう少し頑張って上ると神社があります。神社のお参りを済ませた帰ります。滑らないようにゆっくり慎重に足を進めて石段を下りていきます。
途中、若いカップルを追い越しましたが、奥様は妊婦さんでした。あれからもう4か月も経っているので、今頃は熊野摩崖仏のご加護を受けた元気な赤ちゃんが育っているころだと思います。
◆タクシーで宇佐駅へ そこに悲劇が!
大分の国宝・城跡めぐり2日目を終えてタクシーで宇佐駅に戻りました。時刻はまだ2時台で、しかも特急の到着まであと数分という素晴らしいタイミングです。
しかし、発車時刻になっても特急列車はやってきません。それもそのはず、人身事故のために運転見合わせとなっていました。
駅の待合室でいつ来るかもわからない列車を待ちます。私のほかにも列車を待つ人が大勢いましたが、皆さん無言でひたすら復旧を待っています。勤務時間の関係で駅員さんも帰ってしまい、とうとう「無人駅」になってしまいました…。
結局特急列車は本来の時刻から2時間遅れでやってきました。予定どおりに列車が来ていればホテルで昼寝をしてから居酒屋に繰り出そうと考えていたものの、大分駅から居酒屋に直行することになりました。
■最後に
大分の国宝・城跡めぐり、昭和の町豊後高田と国東半島の3か所の史跡を回りました。
なんといっても長年の懸案だった富貴寺に来ることができたのは大変よかったです。タクシー代は1万3千円で観光バスやレンタカーの方が安上がりですが、それでも来てよかったと思います。
しかし、全行程が終わったと思っても、鉄道事故があるので油断はできません。「家に(この場合はホテルに)帰るまでが遠足です」と、小学校で校長先生が言っていたのは本当だったとつくづく身に染みました。
富貴寺、真木大堂不動明王立像、熊野摩崖仏、「鬼が築いた石段」は、日本遺産「鬼が仏になった里 くにさき」の構成文化財です。詳しくは下記リンクを参照してください。
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