熊本藩主細川家墓所 立田自然公園
立田山は熊本市の北東に位置する標高152メートルの小さな山。この山の麓にかつて細川家の菩提寺だった泰勝寺がありました。
現在は立田自然公園として整備された泰勝寺跡。歴代の熊本藩主が眠る細川家の墓所であり、細川忠興・ガラシャ夫妻の墓もここにあります。
※この記事は前回の続きです。前編をお読みでない方は下記のリンクからどうぞ。
■このnoteを書いている人:かまふち管理人"sho"
日本の歴史・文化・自然・世界遺産、国宝、(続)100名城、日本遺産、建築、町並み、旧街道、映画、日本酒、折り畳み自転車などに興味があります。京都/奈良/横浜/鎌倉/江の島などなど…。
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■立田自然公園入口
熊本大学を出てほぼ直線に歩くと突き当りに立田自然公園入口があります。ここを右に曲がって進むとほどなく公園の入り口となります。
立田自然公園で入園料を払い、公園内に入ります。この料金所近くから「四つ御廟」(後述)までは直線の通路があるのですが、この日は通行止めのため右側に迂回します。
杉木立に囲まれた苔庭はこの公園の見どころの一つ。多くの種類の苔が植えられ木漏れ日に映えて美しい姿を見せます。
苔庭を過ぎると広場があります。ここから左に進みます。
木立の中を進むと四つ御廟入り口付近となります。ここには大きな水鉢があります。
■四つ御廟
水鉢の前の階段を上ると「四つ御廟」があります。
ここには、細川家初代藩主細川藤孝夫妻と第二代藩主細川忠興・ガラシャ夫妻の墓が並んでいます。
ガラシャ夫人の墓の前には、ガラシャ夫人愛用のつくばいがあります。
石田三成の人質政策に異を唱え、自ら命を絶った(クリスチャンのため部下に部下に胸を突かせたとも)夫人の悲哀を感じざるをえません。
散りぬべき 時知りてこそ世の中の
花も花なれ 人も人なれ -ガラシャ夫人辞世の句-
ガラシャ夫人の墓の奥には、宮本武蔵の墓と伝わる供養塔があります。
五輪書を表し二刀流で知られる宮本武蔵は晩年を熊本で過ごしました。その墓は5か所あり熊本に3か所あるとされていますが、どれが本当の墓なのかはわかっていません。
■歴代藩主と家族の墓
四つ御廟をで墓所内を歩きます。ここには細川家第十代細川斉茲公から十五代細川護成公とその家族らの墓があります。
■茶室 仰松軒(こうしょうけん)
武人でありながら当時茶道に関して国内随一といわれた細川忠興(三斎)。仰松軒は忠興の「起し絵図」に基づき大正11年に復元された茶室です。
現在でも時折茶会が開かれているそうです。
茶室仰松軒の前庭にある石灯籠と手水鉢は京都で忠興が愛用したと伝わるもので、手水鉢は千利休も使用したと伝えられています。
上の写真のどちらの石灯籠と手水鉢がそれなのかはわかりませんでした(笑)。
■最後に
立田自然公園は、公園とはいうものの寺院の跡であり墓所でもあります。厳かな気持ちでお参りするのがよいでしょう。
■細川忠興が晩年を過ごした八代城については以下のリンクからどうぞ
■細川家第十八代当主細川護熙氏が描いた京都建仁寺の襖絵と達磨図については以下のリンクからどうぞ
■熊本藩主細川家墓所立田自然公園のあとは熊本城に行きました。続きは下記リンクを参照してください。
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