「ふつうの女の子」に生まれたかった私。~レックリングハウゼン病と向き合って~


「ふつうの女の子に生まれたかった。」
これは私が、高校生のときまでずっと思っていたことでした。
なぜ、そんな風に思っていたのか。
本当に仲のいい友達にも話したことがなかったことをカミングアウトしようと思います。
いつか書きたい、と思っていたけれどなかなか向き合えなくて。
今やっと決心がついたので、ここに書きとめます。
過去の自分を救うために。これを見てくれた誰かのことを少しでも救うために。

私には持病があります。

私には生まれつきの持病があります。
病気の名前はレックリングハウゼン病(神経線維腫症Ⅰ型)
多分、聞いたことがない人がほとんどだと思います。
この病気は3000人に1人の割合で発症し、日本には約40,000人ほど患者さんがいるようです。両親のどちらかがこの病気の場合、子供には50%の確率で遺伝します。私も、父親からの遺伝でした。両親がこの病気ではなかった場合は、突然変異と呼ばれます。

この病気の大きな特徴は、カフェ・オ・レ斑と呼ばれる茶色いシミのようなものが肌にできることです。私の肌にもたくさんあります。
つまり、「見た目」に大きな影響がでます。
その他の症状としては、
・皮膚神経線維腫(肌にできる腫瘍のようなもの)
・骨の変形
・発達障がい、学習障がい
など、ざまざまですが人によって症状には差があります。
命にかかわることはほとんどないようですが、がんの合併率が他の人よりも高く、特に女性は乳がんのリスクが4~5割ほど高いそうです。
(正直私もすべてを理解できていません。)
気になる方は病気について詳しく書かれているサイトを添付しておきますので、ご覧になってみてください。
https://www.nanbyou.or.jp/entry/3991

私は「ふつう」じゃない。

そう感じはじめたのは、小学校高学年くらいのときだったと思います。
親からこの病気のことを聞かされたのも、確かこの時期でした。

みんなは白い肌なのに、どうして私だけ?

そんなことをずっと考えていました。
強い男の子たちに、肌のことをたくさんからかわれました。
人前に立って目立つことが大好きだった私は、控えめになりはじめ、
自分のことが大嫌いになりました。

どうせ私なんて可愛くなれない。

中学に上がると私はさらに暗くなりました。
学校に行っても、部活のとき以外一言も話さない、なんてことも。
周りの同級生たちはみんな自分の容姿に気をつかいはじめていました。
そんな中で、周りの男の子たちのからかいもさらに酷いものになり、
「お前はブスだ」「気持ち悪い」といつも誰かから言われているような気がして、人を信用できなくなりました。
友だちとぶつかることも増えて、
仲良くしてくれている子たちさえも信じることができなくなりました。
「死んでしまいたい。」
毎日そう思ったし、何度も自分を傷つけました。

私の病気を知っている親戚の人たちには、
「かわいそうにね、女の子なのに。」とよく言われました。
そっか、他の「ふつう女の子」たちはみんな肌が白いもんね。
そうじゃない私は、なにをしても可愛くなれないか。
そう思うようになった私は、オシャレも、なにもかも全部
興味がなくなってしまいました。

大学受験に失敗した話。

どん底だった中学時代を経て、高校のときは人間関係も新しくなったり、周りも自分も少し大人になったりして、中学のときよりは明るくなりました。(これは完全にどん底を支えてくれた人たちのおかげでもある。)
中学からやっていた吹奏楽も続けてなんだかんだ充実はしていました。
だけど、自分への自信の無さや諦めはまだ残っていて、「自分は何をやってもブスだから可愛くなれない。」という思いはずっと持っていました。

高校3年生の夏、本格的に進路が決まって受験に向けて動きだしました。
私は将来、演劇関係の仕事がしたいと思っていたので、演劇が学べる大学を目指しました。
文章を書くのは得意だったし、面接も問題ないと先生から言われていたので、AOか推薦で受かるだろうと思っていました。
しかし、私の受験は失敗に終わりました。
第一志望のAO入試も推薦入試も、ついには一般入試も落ちてしまい、
結局パンフレットで適当に選んだ併願の大学へ進学することになりました。
そこも演劇は学べるけれど、スタートはとても後ろ向きで、
楽しみにしていた大学生活はマイナスからのスタートでした。

私の人生を変えた、大学時代。

マイナスからのスタートで始まった大学生活。
でも少しワクワクした気持ちもあって。
私のことを知っている人が誰一人いない世界。
もしかしたらなにか新しい自分がみつかるかも、なんて期待もしていました。
4月のはじめ、入学式に行ったら色々な学生がいました。
印象的だったのは、入学式で教授が話している後ろに大きなスクリーンがあって教授が話した言葉が文字おこしされていたこと。
それは、耳が不自由な学生への配慮。
後ろで学生が文字打ちをしていました。
私が通っていた和光大学では、障がいを持った学生への支援がとても充実していました。どんな人でも学びやすく、通いやすいように。
だからこそ、私の日常には色々な人がいて、色々な「ふつう」がありました。

そして学びもたくさんありました。
演劇ももちろんすごく楽しかったけど、これを学んで人生が変わったなと思ったのが、ジェンダーやセクシュアリティの勉強、障がいなどの社会学、心理学。
いままでずっと苦しかったことに対して、「あなたのせいじゃないよ。」と優しく包んでくれるような、それでいて、残酷で理不尽な社会に怒りを向けているような、そんな内容でした。
和光大学は、どの学部学科にいても基本的には好きなものを好きなだけ学べるという特徴があるのですが、私にとってはそれがとても大きな学びになりました。

特にジェンダーやセクシュアリティでは、「男らしさ」や「女らしさ」に目をむけた授業があって、「私は女なのに、肌が白くないから可愛くなれない。」とずっと思い続けていた私の心に、深く深く突き刺さる内容でした。「私、なにも悪いことしてないじゃん。」と思うにと同時に、自分のために、自分磨きしてもいいかも。なんて思って、化粧やファッションの勉強も少しずつするようになりました。自分のためにオシャレをするとか化粧をするってすごく楽しいなと気づいて、今は化粧品や服を見る時間が大好きになりました。誰かのためとか女だから、とかじゃなく、自分を好きになるために、私は化粧をしたいし、オシャレもしたいんです。大学で学んだことで、やっと、そう思えることができたんです。大学でこんな充実した学びができると思わなくて、第一志望に落ちたのは、この学びにい出会うためだったたかなって、結構本気で思っています。多分、第一志望に受かっていたらこの学びはできなかったと思うから。
そして、その学びからRebitの学生ボランティアをやったのも、そこでのメンバーやたくさんの生徒との出会いも私のことを救ってくれました。大学時代の素敵な出会いと素敵な経験が私の人生を変えました。

https://rebitlgbt.org/

もっと早く知りたかった。

とっても充実した学びができたと思うのと同時に、これをもっと早く知っていれば、あんなに苦しむことはなかったのかなとも思いました。
ずっとずっと自分を否定し続けてきて、大学の学びでやっと前向きになれた。もっと早くから「悪いのはあなたじゃない。」と言ってくれる人がいたらな、と。これが大学に行かないと学べないのはどうなんだろう。

私はとっても人に恵まれている。

最近とってもよく感じること。
私はすごく人に恵まれているということ。
小学生のときからずっと仲良くしてくれてる人、大学のときに仲良くなった人。あなたたちのおかげで、私はきっとここまで生きてこれています。
きっとこの記事を見てくれた人も多いと思う。そしてびっくりした人もいると思う。みんなには伝えても大丈夫と思ったのでカミングアウトしました。
いつも支えてくれてありがとう。こんな私と仲良くしてくれてありがとう。みんなのことが本当に大好きです。

レックリングハウゼン病と向き合って

この病気は、いまだに治療法が見つかっていません。
正直この先、自分がどうなるかもわかりません。
きっと一生向き合っていかなければならないと思う。
そして、もし私に子どもができたとしたら50%の確率で遺伝する。
私と同じように身体にシミができる。
今のままだったら、私と同じようにいじめられてしまうかもしれない。
そのとき私はちゃんと助けてあげられるかな。
今生きている人だって、アトピーとか、そばかすとか肌の色とか「見た目」で悩んでいる人はきっとたくさんいると思う。
その子たちに伝えたい。「あなたのせいじゃないよ。」「あなたはとっても素敵だよ。」って。
今の社会はまだまだとっても残酷で冷たくて、理不尽だから。
そんな社会が変わっていってほしい。みんなが自分も誰かのことも大切にできるような社会になってほしい。
レックリングハウゼン病として生まれて、苦しいこと、辛いこと、たくさんあった。正直今でも「この病気じゃなかったら」と思うことはたくさんあります。この病気で生まれてよかったと思ったことはないけれど、この病気に生まれたからこそ、気づけたことや寄り添える思いがあったり、出会いに恵まれたりしたのだと思います。

「見た目」や「ちがい」に悩んでる人が自分らしく生きることができる社会を、私はつくっていきたい。
そしてもう少し自分を好きになることが、今の私の目標です。

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