事実は正しくとも、感情に寄り添う
正義への対抗は、事実と数字、理論を含めた正論で対抗することが可能です。
しかし、これはあくまでも対抗できるだけです。相手と、事実vs事実で対抗可能なルールのある対戦であればこれで良いのです。
まず、事実としてとらえることのできるデータの収集のために FACTFULNESS は最高の参考資料です。
問題は、これの使い方です。
まず、人には多くのバイアスがかかっています。その人の生きてきた道程や環境などの様々な要因に従って、知らず知らずのうちにおおくの色眼鏡を通して世界を見ています。相手が、どのような色眼鏡で世界を見ているかによって対策を考えることができます。
脳はどうやって人を騙しているのか、騙されているのか「思考のトラップ」によって、ある程度、人を認識できるようになります。
事実と対策ができて人を論破することができても、相手はそれを受け入れることはないでしょう。自分を変えることはできても、他人を変えることはできません。プライドと感情がじゃまをしてきます。教祖に心酔しているようなケースであればまだしも、一般の人間関係では、他人の意識を根底からクズ返すようなことは不可能です。
ただ、他人の行動を変えるような方法はあります。
相手を敬い、プライドも傷つけずに、相手の感情をさかなでることなく自身の意見をうまく伝えるための方法です。それが「アサーティブネス」に代表されるコミュニケーションです。
「アドラー心理学」あたりも似たようなコミュニケーション術を包含しています。
交渉術などの前提に、まず相手を尊敬し立場を理解した上でコミュニケーションをとることは重要な方法です。そこには積極的傾聴(アクティブリスニング)といった手法もあります。
少なくとも、相手がどのような想いで、どのような立場で、あなたとコミュニケーションをしているかを理解して伝えるという手段をとらないと、いくら正しくとも、相手には何も伝わりません。
これだけで全て何もかもうまくいくということはありません。それでも、自分の意識を少しずつ変えていくことで、コミュニケーションも少しずつ改善していくことでしょう。