生きている間にできる100のこと
結城先生の記事をみて、とても骨身に沁みました。
たまたまこの内容と同じく50歳のしょっさん。80歳までを目標に活動しようとすると、100 セットしかないのかと痛感しました。痛い。ホントに痛い。
また100日で何ができるのかと言うこともあります。
ここ100日で何かできるようになったかなと振り返ると、Dvorak 配列を始めたことがそのくらいに等しくあります。
今日で94日目でしょうか。
Dvorak でのキー入力をはじめてもうすぐ100日。でも、QWERTY で培ったあの速度にはまったく届きません。半分にも満たない。初老がこんなことで人生の時間を使っていても良いのだろうか。
ちなみに最近の Dvorak スコアはこんな感じです。
ローマ字は配列が違いすぎるので、もう英語打ちしか練習していません。英語だけやっていたらローマ字も早くなります。きっと。
いつまでたっても、C や K あたりがどうしてもうまくいきません。ローマ字打ちともなると、焦るとわけの分からないキーを打ち始めます。何なら、未だに C と T すら間違えます。意味不明。更にQWERTY時代の名残がどうしても抜けません。こなれた文章だったりすると、QWERTY キー配列で勝手に入力しています。これはもう、1セットどころではなく、3セットくらい通していかないとマスターできる気がしません。
と言うことで、100日を1セットで計画を立てるにしても、初老にできることはそれほど多くはないでしょう。
Duolingo だってもう300日を超えています。4セット目に入っていますが、英語が話せるわけではありません。そりゃそうだ。
100日でできること、もう少し細分化して計画を重ねていかないと何も成しえない、というコトにもなりかねません。
そういえば 10km くらいしか走りきれなかったしょっさんは、100日程度の練習でフルマラソンに走れるようになりましたね。でも、それは過去に費やした7年以上の訓練の賜物です。
何かを成しえるに、しょっさんに残された時間は少ない。
ただ、残り100セットの何かを実行しようとするには、まだ遅くはないとも考えられます。自分を振り返り、これから何ができるのか。もう少しきちんと考えて生活の糧としていきます。