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幼児期〜児童期に必要だと思うこと。



年始に河合さんのジャンプの投稿を見て、以前河合さんとお話をした際のことを思い出し振り返ってみました。

上記のツイートでは、神経系・筋の機能、運動制御の発達について書かれていますが、あの話はそこに至る前の大事な話をしてくださっていたのだなと改めて思います。

振り返りながら今の頭の中を書いていきます。

『活動をしていて一番“ヒト“として、またアスリートになっていく過程で重要なポイントだと思うこと。それは『手』だと。動かすこと。触れること。身体全体もそうだけど、小さい頃にたくさん手を動かす、たくさん触れることが何より大切なことだと。その中で子供自身でこれは良い、これはいけないというのを感覚的に学習していく。例えば手にものを握り、口にものを運ぶ。身体に合わなければ吐き出したり、泣き出したりと、それに合わせた反応をする。』
小さい頃にやった塗り絵も馬鹿にできない。枠の中に色を収めることを次第に学習し、数あるクレヨンの中から色を識別・認識し選択していく、そして手を伸ばし手に取り、塗るという実行が起こる。


一語一句メモは取れなかったですが、河合さんはこのようなことを言われていました。

今のこの時代では、手で触れる機会や動かす機会はこれまでと比べると減っているのではないかなと。また、新型ウイルスによりこれからさらに減っていくのではないのかなと思ったりしています。

今では小さい頃からゲームやスマホを持ち始め、さらには授業までもがパソコンで行われるようになり指は単一された動きを繰り返すことが増えてきます。

昔であればジャングルジム・登り棒・雲梯などの遊具やボール遊びなど自由に遊べていましたが、現代では怪我するからと大人の都合で遊具が使えなくなっていたり、ボール遊びが禁止の公園や学校もあったりします。

そうなると手全体の動きの感覚や触覚すらもこれまでよりも著しく乏しくなってきてしまうのではないか…という懸念があります。

現代の育成年代のスポーツ現場においては、腕の使い方がかなり乏しい選手が多く、走っている最中に良い感じに手を振れている子は少なくなっている印象を受けると河合さんは言われていました。

これはユース世代に関わる僕自身も感じている部分です。

またスクールに来る子供たちの中にも手を使うこと、手と足・身体とのつながりが乏しい子も中にはいます。

手をうまく使えていない、幼少期の手からの感覚が乏しいことがどんなデメリットを及ぼすか。

小さい頃から足ばかりフォーカスしがちなサッカー漬けの少年・少女には特に知ってもらいたいことですし、広い視点を持てば今現在スポーツをしていないにしても全ての子供や親御さんに知っておいてほしいことです。

スポーツのパフォーマンスの観点に 『手』 を紐付けて見てみるとジャンプや走る動作と繋げて考えることができます。

その中で手をうまく使えているかの評価にカウンタームーブメントジャンプ(腕振りあり、腕振りなし)というものがあります。

本来、腕振りありの方が身体のパワー発揮効率が上がるため、ジャンプのは腕振りありの方が飛べます。しかし、 腕を使えてない子供は「腕振りあり」と「腕振りなし」の間でジャンプに差がない という結果になってしまいます。

これは “ヒト“ が本来であれば獲得していた動作効率を獲得しないまま競技をしていることになり、サッカー選手として以前に、“ヒト“ としてのポテンシャルを最大限発揮できていないとういことになります。

幼少期からサッカーに偏ると足にどうしてもフォーカスされがちなため、このようなことも出てくることも珍しくありません。

実際に現場でも手を使えていない、手を使って飛ぶ感覚がわからない子が多く、トレーニングしていくうちに感覚がわかり上手く飛べるようになっていく選手もいます。

僕が帯同しているチームの昨シーズンのキャプテンは、苦手だったジャンプヘッドでの競り合いが得意になり、競り勝つことが圧倒的に多くなりました。
(ストレングスもしているので、手だけとは言い切れませんが手の使い方がかなり良くなりました。)

ジャンプは幼少期の経験が鍵を握ると記載している文献もあり、本来であれば高校年代頃には意識することなく腕を使えているという前提条件を兼ね備えて成長していけると積み重ねの質がいいと思います。そして、その兼ね備えていたものをさらにジャンプやスピードを高めるトレーニングをしていけることが成長を飛躍させるポイントではないかと思います。

サッカーが上手くなる前に “ヒト“ として健やかに成長していく根幹には

触れる、聞く、見る、匂う、味わう の五感  そして 動く があります。

生まれてからの経験で “ヒト“ としてのポテンシャルを積み重ね、小・中・高への身体の発達とパフォーマンスに繋って来るのではないかと学びや話を伺う中で感じています。

運動パフォーマンスは経験の積み重ねであり、その “ヒト“ の歴史であると感じています。

赤ちゃんの頃から何に触れ、何を感じ、どう動いているかも“ヒトの成長“から考えると大切だと。

ここをすっ飛ばしつつある現代の小中高生は見かけ上の成長はしている子が多いですが、ポテンシャルを最大限引き出せているかどうかは疑問です。

今後便利になりすぎていく世の中で“ヒト“として健やかに育ち、アスリートとして成長していくためには何が必要なのか。

必要なものが今後、新しい未来に新たに出てくるかもしれません。

ただ、先人たちが生きてきた過去にもう十分に詰まっているのではないのかなと思いますし、河合さんももう “ある“ と言われていました。

アスリートである前の “ヒト“  の前提条件を兼ね備えていけるかが、“手“ に詰まっていて、“ヒト“として健やかに成長し、ポテンシャルを最大限生かせるアスリートになっていくことにつながるのではないでしょうか。


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