『Karate Kid』 と 『ベスト・キッド』 #3
と、まあいろいろ書いてきて、結局なにが言いたかったというと、『ベスト・キッド』シリーズの先にちらつく日本が、いかにもな米国視点で描かれていて、20世紀後期の米国において日本がどのように受容されていたかを知るには面白いということである。
想像上の日本であり、米国民が期待した日本。
いまだにアメリカの日本は、かつてのステレオタイプがいたるところに散見されて、現代日本に関心がある米国人は、アニメ好きをのぞいて非常に少ないに違いない。つまりアメリカの日本は『ベスト・キッド』が公開された80年代から30年ちかくたった今も、大きく更新されてはいないのだ。
事実、僕はこっちで、日本の物価は高いだろ、とか、忍者や侍をモチーフにしたコンテンツや、日本の精神性をうたった記事など、折に触れて体験してきた。クールジャパンなんて響きは、ここアトランタでは誰も知らない。彼らが受け取る日本は、彼らが知っている日本であって、私たちが伝えたい日本とイコールではない。
結局のところ、日本はグローバルでは新時代の価値観を提供する側にはいないのだろう。海の外では彼らの日本と現代日本との差分を常にチューニングしていないと、彼らの日本はたちまちのうちに、彼ら自身のうちに都合よくシュリンクしていくだろう。
私は日本人だから、日本をめぐるいろいろに当事者意識があるのだけど、なんというか、国境が溶けていく世の中にあって、日本はなかなかに頑固で、リスクテイクに慎重で、柔軟性に欠けてしまったなと、ことあるごとに感じることが増えたきた。コロナ時代はとくに。