家族のカタチ 〜DINKsとして生きる人生を受けとめる〜
DINKs(ディンクス)という言葉を
ご存知ですか?
DINKsとは、
「Double Income(共働き)
No Kids(子どもを持たない)」の略で
「子どもを産まずに二人の生活を続けよう」と
決めた夫婦のことを指します。
結婚すれば、自然に子供の親になれると思っていた
私は43歳になる少し手前に結婚をしました。
いわゆる晩婚です。
決して結婚願望がなかったわけではありません。
恋愛もずっとしていました。
ただただ仕事が忙しく、
目の前にある課題をこなすことに精一杯で
まだいいだろう、もう少し後でもいいだろうと。
私は、結婚をすれば自然と子供ができるものと
思っていました。
語弊があるかもしれませんが、
結婚にも出産にも適齢期、タイムリミットがあるということを理解していなかったのです。
結果、私はさまざまな事由により
子供を持つことができませんでした。
一番の要因は私たち夫婦ふたりの年齢です。
私はその現実をなかなか受け止めることができず
かなり苦しみました。
街で見かける親子の微笑ましい姿を見るたび
涙が溢れたり
電車でふと見かけるマタニティーキーホルダーに目を背けてみたり
友人との会話の中で飛び交う子育ての話を
耳にすることさえ辛かったり
一方的に旦那に当たることもありました。
多様化するライフスタイルの中で
今なお残る「結婚=子どもをもつ」が当たり前の世の中
一番辛かったのは、
お互いの両親の顔を見ることでした。
お互いあえて子供、孫のことを
口にすることはありません。
でも何故か申し訳ない想いになり、
かといって面と向かって謝ることもできず。
コレって、私の中で「結婚=子供を持つ」が
常識になっていたのかもしれませんね。
でも、それは世間も同じだと思うことが
多々あります。
昨今、結婚をしないという選択、
子供を持たないという選択を
自らされる方もいっぱいいます。
しかし、一方では
初対面の人に当然のように
「お子様はいくつですか?」と聞かれる
旦那の洋服を見ていたら
「息子さんへのプレゼントですか?」と
尋ねられる
「子供は?まだ?早い方がいいよ」
全く悪気のない、ごく普通の会話なのに
その言葉にも傷ついてしまう自分がいるのです。
気持ちの方向転換
まだ見ぬ子どもより今の自分と夫婦関係を大切にしよう
子供を持てないことへの不満、
絶望感、喪失感、苛立ち、寂しさ。
そんな辛い想いから抜け出せたのは、
つい最近です。
諦め、もしかしたらそれが一番かもしれません。
でも、抜け出せたのは
子供がいないけれど目の前には
いっぱい幸せが転がっているじゃん!
今も結構幸せじゃん!と
気づくことができたからです。
旦那様は、毎日仕事から帰ってくると
「ただいま〜」と言って
真っ先に私の元に駆け寄り、
ハグをしてくれます。
結婚をして5年以上経ちますが、
今も変わっていません。
私が冗談を言ったり、ドジをしたり、
戯けてみたりすると、いつも大笑いをしながら
可愛いなぁ〜、癒されるわぁ〜と
言ってくれます。
今はコロナで行けなくなってしまいましたが、
年に数回は温泉旅行などの
プチ旅行を満喫していました。
でも。
子供がいれば、
生活は子供が中心に回ってしまい、
この感覚は絶対に味わえないはず!
こんな風に今、旦那様と仲良く幸せに暮らし、
夫婦水入らずの時間が過ごし、
喜びを感じられるのは、
子供がいないdink'sだからこそできるプチ贅沢!!
その幸せをスルーして、
ないものねだりしてるなんて勿体なすぎる!!
そんな自分の目の前にある幸せに気づけた瞬間、得ることができない子供を思って嘆く時間が
すごく無駄なことだなって
思えるようになったんです。
幸せは人それぞれ
家族のカタチだって色々あっていいんだよ
私たち夫婦は、子供を作ることを断念しました。
DINKsっというのは、
何らかの事情があって子どもが欲しくても
できない夫婦は含まれないそうです。
厳密にいうと、
私たちはDINKsではないのかもしれません。
でも、二人でも楽しくお互いを思いあって
生きていく!と
自分たちの意思で決めたから。
DINKsだからの幸せのカタチを
これからも探していきたいと思っています。
産めない女性、産まないと決めた女性。
想いは色々だと思います。
きっと自分の中の葛藤、
周りの声や視線との付き合い方。
子どもを持つ女性と持たない女性との
目に見えない境界線。
きっとこの想いはコレからも
ついて回るだろうと思っています。
でも、「家庭=子どもを含むもの」という
価値観が根強い現代社会で
自分らしい幸せのカタチを
見つけていきたいと思っています。