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私と父と『ビッグ・フィッシュ』

子どもの頃から、父のことが苦手だった。
おそらく父も、私のことを苦手だと思っていただろう。
人懐こく愛嬌たっぷりの妹を、父はとてもかわいがっていた。
父と私は、喧嘩こそしなかったが、言葉を交わすこともあまりなかった。

中学校の校長だった父は、生徒には好かれていたようだ。高校の後輩から、「ナイトウさんって、ナイトウ先生の娘さんなんですよね? 私、ナイトウ先生が中学校で一番好きだったんです」と言われたことがある。
私以外の子どもには好かれている父、と書くととても悲しいが、実際にそうだったので仕方がない。

田舎を出て東京に住むようになった私は、自然と両親から離れるようになっていった。実家に帰ることはほとんどなかった。

そんな日々を過ごしていたところ、長くガンを患っていた父方の祖父の容態が急変した。これが最後になるかもしれないから、と、私は祖父を見舞うことにした。

ティム・バートン監督の作品、『ビッグ・フィッシュ』が、私は大好きだ。
面白い作り話ばかりをする父に対し、彼の本当の気持ちが見えない、と悩む男性が主人公である。優しく美しく楽しくて、波乱万丈な人生を歩んだ父が紡ぐ物語に多くの人が惹かれている。でも、主人公は父を受け入れることができていなかった。父が病に倒れ、いよいよ先がないというときに、主人公は父と和解する。簡単にいうと、そんな物語だ。

祖父を見舞うため実家に帰るとき、私は、父に観せたいと思って『ビッグ・フィッシュ』のDVDを持っていった。私にとっては賭けであった。自分の親が亡くなりそうなとき、しかも映画と同じく病気のせいで、という状況で観る映画ではないかもしれない。でも、もしかしたらこの映画で父の心が楽になるかも、という思いもあった。

父はほとんど映画を観ることのない人だ。2時間黙って座っていることが難しいらしい。声が大きく、思ったことはなんでもすぐに口に出す父は、映画鑑賞に向いていないと、娘の私ですら思う。

「一緒にこの映画を観たいんだけど」とぶっきらぼうに言った私に、最初はあまり良い顔をせず面倒くさがった父だったが、最終的に「お前が『一緒に映画を観たい』なんて言うのは初めてだから、いいよ」と言ってくれた。

私は珍しく父の隣に座り、DVDを再生した。
最初の方こそ、「なんや、よくわからん」とブツブツ言いながら観ていた父だったが、物語が進むにつれて明らかに口数が減っていった。
私は、失敗した、と思った。傷つけてしまっただろうか、怒っているのだろうか。こんなもの、くだらないと言われるだろうか。

ビリー・クラダップがアルバート・フィニーを川に返すラストのところで、すっかり押し黙った父の様子をちらりと横目で見た。

父は、流れる涙をぬぐおうともせず、静かに画面を凝視していた。
父が泣いている姿を見たのは、後にも先にもこの一度きりしかない。

エンドロールが始まり、父は少し照れくさそうに私の頭をなでながら、言った。
「いい映画を観せてくれて、ありがとう」と。
そこには、今まで見たことのない、穏やかな表情をした父の姿があった。

私は祖父を見舞い、彼から漂う濃厚な死の匂いを感じ取って、東京へ戻った。もう、長くはないのだろう。

祖父が危篤状態になった、というとき、父から私へ1通のメールが届いた。
今でも明確に原文をそのまま覚えている。

「人の死がたくさん報道されるので、痛みなど無いように思える。
 自分のこととなると、そうも思えない。
 家族が一緒にいることが、一番良いことだと思える。
 ビッグ・フィッシュを返す時が近いことを感じている」

それから少しして、祖父は旅立っていった。
大往生ではあったため葬式もさほど深刻な空気にはならず、親戚が集まって祖父のことを話しながら酒を呑むような、明るいものだったことを覚えている。そう、『ビッグ・フィッシュ』で観た、あの葬式のように。

のちに父は妹に「全校集会で『ビッグ・フィッシュ』の話をした」と言っていたらしい。相変わらず父は、私に対しては何も言わない。でも、『ビッグ・フィッシュ』のおかげで、少しだけ私たちの距離は縮まった。本当に、少しだけ。その思い出があるだけで、私はこの先もやっていけると思う。


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