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親友の残したノート
はじめに
先日、親友の死を記事にした。実は、その後にもいろいろなことがあった。
四十九日まで
親友B(以降B)が亡くなり、お通夜とお葬式が終わって、彼の実家には、中陰壇がもうけられ、彼のお骨が安置された。
地元に残っているのは、私と親友A(以降A)だけだった。私は、Aに「次、いつ顔を出せばいいだろうか?」と問いかけると、彼は、「毎週行くぞ」と言った。
Bは、一人っ子だった。つまり、ご両親にとっては、唯一の息子が亡くなったわけだ。もしかしたら、Bの後を追うかもしれない。だから、せめて、毎週、顔を出して、話をしてこよう、というわけだ。まるで、初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日という中陰に伺うような提案だった。私は、正直、そこまで相手の方に入り込んでいいのかな?という気持ちではあったが、Aとともに、毎週、Bの実家に伺った。
毎回、必ず、「私たちの知らない息子の姿を教えて欲しい」と言われ、通夜振る舞いでは、話すことができなかったことをできる限り話した。
気付くと四十九日(満中陰)を迎えていた。そこには、ご両親と私とAと知らせを聞いていなかった友達数名が来ている中で四十九日(満中陰)の法要が営まれた。
親友の残したノート
四十九日(満中陰)の法要の翌日にAと二人でご両親に会いに行った。四十九日(満中陰)の法要に呼んでいただいたことに対するお礼を改めて言いたかったからだ。
そうするとBの母は、私達に一冊のノートを見せてくれた。Bのノートだそうだ。彼の母は、「私達(Bのご両親)以外には見せないようにしようと思っていた。でも、君たち二人には見せようと思う」と言った。
正直、見るのが怖かった。そこには、何が書かれているのか。そして、ご両親が他人に見せようとはしない理由とは何なのか。
だけど、差し出された以上、見ないわけには行かない気がする。勇気をもって表紙をめくった。Bの文字だ。日付が書いてある。出来事が書いてある。点数が書いてある。。。そして、最後に反省点が書いてある。
日記のような体裁を取って、誰と関わり、何をしたか。そして、自分がどういう振る舞いをしたのか。こんなことをが綴られていた。そこには、その日の自分の点数が書かれていた。
「今日は、AA年BB月CC日、XXでYYとQQをした。こういうことはできた。でも、こういうことができなかった。70点だ。次はこうしたい。」
こういう内容が淡々と書かれていた。ショックだった。そこには、私の名前もあったし、Aの名前もあった。そして、年末に集まっていた仲間たちの名前もあり、彼女さんの名前もあった。たくさんの名前があった。当然、仕事の関係と思われる記述もあった。
Aは、「Bが生きていたら、一発殴らないとダメだ」と興奮気味になっていた。それはそうだろう。Bとは、そんなことを気にした付き合いをしているつもりはなかった。それは私も一緒だ。でも、Bは違ったようだ。
Bは何を考えていたのだ。彼は、真面目なヤツだ。どうして、こんなことをしたのか。本人は死んでしまったから確かめようがない。私なりに考えてみると、彼は、人と関わることに100点満点が欲しかったんだろう。「どんな人に対しても100点満点を取れる自分でありたい」と思って、がんばったんだと思う。でも、そうならない苦しさに最後は押しつぶされたのかな。そんな気がする。
彼の自殺の原因は、わからない。遺書はなかった。しかし、このノートを見ると、彼を自殺に向かわせたモノは、たぶん、そういった極端な真面目さのような気がする。
終わりに
Aは、一周忌の時に、仲間たちに「困っている時は、困っているって言おうな」と言っていた。彼なりのBのノートを見た結論なんだと思う。
あるお寺に掲示されていた言葉にこんなものがあった。
「助けてと言えないのが私の正体」
いつも他人からどう見られるかばかりを気にして、体裁を繕い、いい人であろうとする。それは、おかしいことではないと思う。Bを責めることは、あまりしたくないが、自分が満点を取れないところから、つまり零点スタートで「こんだけできた」というような加点方式の考え方をしてもよかったのじゃないかな、と思う。そして、「しんどいんだよね」とたまには一言こぼしてもよかったのにさ。
彼のノートを見ると、彼は、人と接することに対して、減点方式で生きていたんだろうなって感じました。減点方式で生きるのは、しんどい気がする。加点方式の方が精神的に楽な気がする。しかし、やめられるのかは別の問題だ。長年かけて染み付いたモノはなかなか取れない。
よくよく考えてみると、もしかしたら、Bの心の中にあった心は、私の心の中にもあるのかもしれない。Bの残したノートは他人事ではない気がするのだ。
<追記>
Bのことを思い出しながら記事を二本書いた。
実は、ご両親とは、今でもお互いに交流があります。これからもご両親とは仲良くしていきたいと思っています。今も毎月一度は、顔を出しています。
書きながら、怖いことに気づいた。私が書いてきた「恋活・婚活録」がもしかしたら、Bのノートを同じような気がしてきた。
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