二度目の人生が始まる
TwitterかFacebookか知り合いから聞いたか、忘れてしまった話題がある。
子どもが生まれると二度目の人生が始まる
子どもが産まれると人生の主人公が変わる
これらの言葉だ。どちらも内容的には同じことだと理解している。今回は「子どもが生まれると二度目の人生が始まる」について思うところを書いておきたいと思う。
「二度目の人生」と言っても、死んで生まれ変わるという輪廻転生のことではない。結婚する前には大袈裟なことを言うなというように思っていた。しかし、子どもが産まれるとものすごい実感をする。
どういうことか。子どもが産まれた後には、子どもの世話を夫婦でいろいろとせねばならない。我が家は親たちと同居して家族みんなで育児を分担して行なっている(といっても妻が一番子育てに関わっているが)。
私は、主にお風呂と寝かしつけと朝の散歩を担当している。たぶんうちの子は聞き分けがいい方の子だと思うんだけど、それでもやっぱり子ども、というか、赤ちゃん、だから、駄々っ子だ。
本当に夫婦で困る場面も度々ある。
あることを思い出した。親友と映画を見ていた。その映画は私にとっては別にいい作品とは感じなかったが、親友にはなぜか突き刺さっていた。その作品の一つの場面が過去の自分の体験と重なったようなのだ。その場面を通して自分の過去を思い出して、その時の感情が蘇るそうだ。こういうことは親友固有のものではなく、誰にでもあることなのだろうと思っている。
記憶があれば鮮明にその時の気持ちも一緒に蘇るんだろう。では、記憶がない時はどうなのか。
子育ての場面で子どもを通して過去の自分もこうだったのかな、と思うことがある。「こうだったのかな」というのは、当時の記憶がないから想像するしかないということだ。
子どもを通して過去の子ども時代の自分を想像してみた時に現れてくるのは世話をしてくれた親や祖父母たちだ。そして、今、私は親という位置にいる。言わば私を育ててくれた私の親たちの体験を追体験しているようなものだと思った。言い換えると、これまでは育てられる立場でしか親を見てこなかったが、子どもの世話をする親の立場に私がなったからこそ、そこに私の親たちが子どもを育てる中で感じたであろうことを感じることができる。
今まで親から与えられるばかりだった者が、今度は親として子どもを育てる(与える)者となり、今まで自分がどのようなモノを与えられてきたかを、子どもを育てる中で教えられてくるのだ。
子育てを通じて、今まで自分が親をはじめとした関わりのある人たちから何を与えられてきたのかを教えられていくことが、私自身の人生にさらに増えるのだ。
子どもを通じて自分が何を与えられて来たのかを教えられていくことが、自分の子育てと同時に自分が子育てされてきたことをもう一度感じることにほかならない。これが二度目の人生なのだろうと思う。
追記
ちなみに妻も子育てをしていると自分が親にこんだけ酷いことをしてきたんだろうな。。。って思うことがある、と言っていた。妻も私も似たような人間なんだろう。