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最後に残る思い出の場所とモノ
地元の老舗のパン屋に行ってきた。いろいろな商品があるが、やはり、値上がりは避けられないようだ。そんなことを思いながら、昼食にするパンを選んでいた。たまたま、ハンバーガーを見つけた。
実は、このお店のハンバーガーには思い出がある。祖父がよく買ってきてくれたものなのだ。祖父は、大正時代の生まれで、私をはじめとした同居している孫たちをかわいがってくれていた。孫たちが好きだろうと思ってなのか、「ハンバーグを買ってきたよ」と私達に言っていた。私は「じいちゃん、ハンバーグじゃなくて、ハンバーガーだよ」と言ったこともあるが、祖父は何度も「ハンバーグ」というので、言い間違いを指摘するのは諦めた。しかし、祖父が嬉しそうに「ハンバーグを買ってきたよ」と言っていたのを覚えている。大正時代の祖父にとっては、ハンバーグとハンバーガーの区別はなかったようだった。
お店でハンバーガーを見た時に、包装も変わっていた。値段もあがっていた。しかし、祖父との思い出がふと思い浮かんできた。不思議なものだ。いや、記憶にはあったんだけれども、思い出されることはなかったんだろうな。
先日、以下のような記事を書いた。
この記事では、一部分ではあるが、場所を通して、祖父とのことを思い出したことを書いてある。今回は、モノを見てだ。
最近、モノや場所というのは、意外と大切じゃないかと思うようになった。そのモノや場所を通して、いろいろな思い出が想起する。きっかけがなければ、思い出は浮かんでこない。
田舎に住んでいるから次々と思い出の場所はなくなっていく。最後に残る思い出の場所はどこなのか。数十年が経過してもなくならないものはなんなのか。
70代の遠方の方がお寺に訪ねて来た時のことを思い出した。
「今でも、ここに、お寺があるんですね。なくなってないかって思いました。」
この方といろいろ話をしていると、地元を離れて、数十年が経過しており、思い出の場所は、ほとんどなくなっていたようだ。唯一残っていたのが、祖父母に連れられて来ていたお寺だったのだ。といっても、お寺も、当時から建て変わっており、住職と坊守も世代が変わっており、厳密に同じものとはいえない。しかし、この方は、「懐かしい」と言われていた。私にはあんまりピンと来なかったが、お話をされる方の嬉しそうな表情は覚えている。
寺社仏閣というのは、田舎で最後に残るものなのかな、という気がした。私達にとって、大事なモノや場所で最後に残るのは、なんなのであろうか。
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