希死念慮と生きてる人①

どうも。
職業生きてる人です。

見切り発車でnoteを初めてしまったので、とりあえず自己紹介の続きのような、自分を構成してるものを曝け出してみようと思います。最初の記事にあるように、自分のなかで大きく存在するのは希死念慮という思考とアロマンティックアセクシャルという性質です。この2点について自分を知っていただけたらと思います。

あくまで個人の意見であり感想であり感覚ですよ、ということをご理解ください。また、似たような感覚をお持ちの方を無意識に攻撃してしまうかもしれないので、共感したさをお求めの方はそっと記事を閉じてください。

希死念慮


はい、もう単純に死にたいです。

なんだよ、構ってちゃんかよ。

と思われる方もいらっしゃいますよね。もう幾度となく言われました。そんなつもりは微塵もありません。というより、

希死念慮ってどんな人にもある標準装備

だと思っていたのです。

自分の中では、楽しいとか美味しいとかそういう軽いレベルで持ち合わせている感情でしかありません。特に印象的な出来事がなくても、毎日どこかのタイミングで感じます。

朝起きて眠いな、死にたいな
ゴミ出し忘れたな、ああ死にたいな
仕事めんどくさいな、もう死にたいな
新発売のお菓子美味しいな、でも死にたいな
毛布あったかいな、このまま死にたいな

ただ日常に溶け込むように存在しているのです。だから、正直今も健常な感情ではないということを受け入れられません。

病気じゃん。

そう言われたこともあります。そうなのかもしれません。完全な偏見ですが、希死念慮がある方は病院にかかって何かしらの診断を受けている場合が大半なのではないかと思っています。ですが、幸いにも自分は食欲旺盛で、寝ることも大好きです。特に生活には困っていないのです。

では、語彙力が乏しすぎて

苦しい=死にたい
辛い=死にたい

と表しているのか、とも考えられるのですが、紛れもなく

死にたい=死にたい

なのです。消えたくて、明日はいらなくて、土に還りたくて、溢れるその感情で泣くこともできます。自分の場合、毎日ベッドの上で死への妄想を膨らませることで泣かずに消化させています。


そんな人きっといっぱいいるよ


そう思いながら考えることを放棄し、向き合うことはしていません。思い詰めずにいられるのも壊れる前に逃げ切ることができる、ある種の能力があるのではというとこまで前向きです。


今日もごく普通にあなたの近くでブロッコリーを買ったかもしれません。死にたいなって思いながら。

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