大丈夫、
川沿いの町で暮らして1年が経った。
色彩豊かな大きい電波塔と、路面電車の発車メロディー。川べりで煙を燻らす時間が心地よくて、彼岸花と秋虫の声が、だんだんと秋めいているのを教えてくれる。
咲いている花を見れば、虫の鳴き声を聴けば、生きている季節を感じることができる。なんてささやかで倖せなことだろう。
太宰は「秋は夏の焼け残り」と言ったけれど、ばかげて明るい陽射しも、プール日和の匂いもどこかへ行ってしまった。また夏は来年もやってくるのに、なんだか名残惜しい。
9月、霖雨で誕生日を迎えた。ただ歳を重ねてしまって、大人らしいことは何ひとつできていない。上司に1時間説教され、だらしない恋愛をして、断線寸前のイヤフォンを使い続ける。シャネルの香水を纏って高いヒールで闊歩するような、凛々しい大人にはなれなかった。
では子供らしいかと言われると、残念ながらそこまでの生命力はない。24歳の私は呼吸をしてここにとどまることだけで精一杯で、徒競走が速くて、教室で一番に牛乳を早飲みする小学生の方が眩しくて、目を逸らしてしまう。
SNSで死ぬほど情報が蔓延るなかでも認知できる世界はきっと狭くて、さよならも言えずに離別する人が多くて、優しい嘘をたくさん吐いて、何が大切なのかわからないまま死んでいくのだろうけれど、知らない方が幸せなこともあるでしょう。あんまり多くのものを抱えても疲れてしまうし。
ご飯を美味しそうに食べる友人の表情、好きだった人が教えてくれた音楽と文庫本、美しい絵を見た時の高揚感、さりげなく移ろう季節、熱い湯に浸かった時の溜息。片手に収まるほどの、小さいながらも揺るぎなく愛せるもの。それぐらいの心がきゅうっとなるような幸せな日々があれば大丈夫。
できる限り精一杯、このささやかな日常を慈しむことができれば、きっと大丈夫。