生きる徴
11月。神様が出雲に集まる月。
ようやく寧静な日々が始まった。と思っていたら、クリスマスソングが流れ、ツリーが並んで、こないだまで金木犀の香りに包まれていた街があっというまにライトブルーに染まる。
イルミネーションの煌めきに目を瞑る。
一方私生活は、だらしなくてぼやけた日々だ。
スマホ越しに写した満月みたいな。
新宿の居酒屋。酒徒と日本酒をたらふく呑み、狭い喫煙室で要らない話をした。
花も美術も煙草も恋愛も神様も、実際無くても生きていけるのに、無意識に望んでしまうのは何故だろうね。欲しくもないガチャガチャをたくさん回して、風呂にも入らず酔中にて眠る自分にはもちろん分からないのだけど。
花を見て"綺麗だ"と思うこと、
この人がいれば大丈夫と思える信仰心、
肺が真っ黒になるなら気楽に生きようというペシミズム脱却論、人を好きになった時の高揚感。
生きている徴が欲しいから望んでしまうのだろうか。
そんなことを考えながらシャワーの蛇口を捻る。脱いだままの靴下とバッグが放り出されて、読み切れない本で荒れた部屋は、昨日の私が今日の私に生きることを託した徴だ。
誰にもいえないありあまる日々を、くだらない時間を綺麗だと言えるそんな自分を、少し愛おしいと思えた、微々たる自己愛の話。