短編小説『延滞』
ピッ、ピッ、ピッ。
「3枚とも期間内のご返却です。ありがとうございましたー」
卯月は苔が付いてもおかしくはないお決まりの台詞を吐き、返ってきたDVDを過不足ない動きで棚に戻した。
そして、レジカウンターを盾にケータイをチェック。
LINEのアイコンの右上に水色の丸は見当たらない。
ネットサービスの煽りを受けて客足がほぼなくってしまった個人経営のビデオショップで働く卯月が就業時間内にすることと言ったら、この繰り返し。
しかし、ケータイの画面を見る度に空虚感に包まれるというオチが待っているのが常だった。
そんな週5日のアルバイト生活が、目映いはずの青春の大半を担わざるを得ないでいるのが現状だ。
この年頃なら青春の大テーマになってくるはずの恋愛。
しかし、卯月にとって恋愛が割くシェアなんぞは微々たるもので、密かに恋心を抱く同じクラスの羽田さんを目で追うのがやっとと言った具合だ。
映画好きの彼女が卯月のバイト先を知った際に、明らかにその事実だけに食い付きLINEだけは交換はしていた。
しかし、一度としてLINEのやり取りを交わしたことはない。
卯月はケータイから視線を横に移すと、カウンターの縁に貼り付けられた黄色い付箋を見つけた。
そこには、店長からのメモで“1.延滞料金滞納者に催促のTEL!”と書き殴られていた。
「(伝えたいことが1つなら初めの『1』いるか?『TEL!』もなんか鼻につくわ)」
などと思いながらも、パソコンを起動し滞納者のリストが収められたファイルを開いた。
確認をすると、なかなかの数の人間が返却を滞らせていた。
しかし、ビデオ屋は実のところその延滞料があって初めて経営を成り立たせているのも事実だ。
なので、そのブラックリストに表示された人物は大事なお客様でもあるのだ。
卯月はその中でも一番延滞日数の多い“宇佐美 月男”という男に目をつけた。
その延滞日数は実に3週間にも及ぼうとしていた。
レンタルしたDVDは計5本。
延滞料金だけでざっと2万円近くのお値段だ。
「(こいつ、ひと月延滞するから月男って名前なんじゃねえの?)」
卯月はそう心で嘲笑った。
しかしながら、倦怠感が蔓延する職場にある種のスパイスが加わったことで少なからず心を高揚させていた。
こういった極端なまでの延滞は、ハナから返すつもりはなく引っ越しなどを機にバックれるケースも多い。
卯月はその経験からこいつはそのパターンの可能性もあるな、と高を括った。
そう思い始めると急に腹立たしくなってきた。
そして、ボソッと「悪を倒してやる…」と、安っぽい言葉を発すると受話器を耳に当てた。
一人盛り上がり鼻息を荒げ、画面に映し出された番号をプッシュした。
トゥルルル…(ガツンと言ってやらぁ)
トゥルルル…(さあ、来やがれ)
トゥルルル…(裁きの始まりだ!)
「只今、電話に出ることができません…」
受話器から留守番電話の音声案内が流れた。
肩透かしを喰らった卯月は勝手に戦闘モードになった姿勢そのままに作戦を切り換え、催促のメッセージを吹き込むことにした。
気分は闇金の取り立て屋だ。
「あー、もしもし。コメットですが、DVDを3週間ほど延滞されていまして。お客様が未だに返却されていないため、お電話をかけさせて頂きました。このまま延滞が続くようですと請求料も膨れていきますし、こちらには免許証のコピーもございますし住所も控えております。このままですと…」
そう脅しめいた言葉を吐くと、自分でもノッてきているのがわかった。
「とりあえず、ご延滞中の作品を確認のため読み上げますね」
マウスをクリックすると、作品名が画面に映し出された。
「えー、まず『ダイ・ハード』。次が『アルマゲドン』。そしてですね、『スクール水着食い込み… プッ!」
卯月は思わず吹き出してしまい、気づくと電話も切っていた。
『スクール水着食い込み女子校生のイケない授業』
そこには、まさかの壁が立ちはだかっていた。
凄んだ勢いは何処へやら、卯月はプルプルと体を震わせた。
「こいつ、洋画の流れから何してくれてんだ…」
何か胸騒ぎがした卯月は宇佐美のレンタル履歴をチェックした。
大量のエロDVDの作品の中、過去に『ダイ・ハード3』を借りていることを見つけた。
順序がおかしい。
明らかに大ヒット映画をカムフラージュに利用している。
しかも、この男“2”を借りた形跡がない。
その上、今回は『アルマゲドン』と抱き合わせで借りている。
分かり易い“サンドウィッチ”(エロDVDを普通の映画で挟むことを言い、店員同士は隠語としてそう呼んでいる)だ。
これは追い込みだ、と息を整え卯月はリダイヤルを押した。
勿論、留守電。
「先程は、失礼致しました。コメットです。改めまして、延滞されているのが『ダイ・ハード』『アルマゲドン』、えー。ス… スクール水着食い込み… 食い込み… 食い込み女子校生のイケない授業… ギャルに好き放題される… ろ、浪人生… ククッ… (ここを乗り切れば、俺は強くなれる!あと1本だ!)」
卯月はこれを乗り越えれば俺はこの青春を謳歌できるんだ、といつの間にかよくわからない大志を抱いていた。
「…そして、最後になります… ハ… ハミ、『ハミ出しモノ3』です!!」
ガチャ。
卯月は大きく息をつき、偉業を成し遂げた自分を誇らしく思った。
そして、その達成感から笑いが込み上げてくる。
俺は勝ったのだと。
「フハハハハ!」
すると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ねえ… 何がそんなにおかしいの…?」
レジの前にはあの憧れの羽田さんの姿があった。
我に返った卯月は心臓の鼓動が猛烈な勢いで速くなっていくのを感じた。
それと同時に、体中の血の気が一斉に引いていった。
羽田さんはゆっくりと後退り、逃げるようにして店を出ていった。
彼女は全てを目の当たりにしていたのだ。
卯月は急激な展開に頭をついていかせるのがやっとだった。
そして、圧倒的絶望感に包まれ俯く卯月の目に留まったのはカウンターに置かれたケ ータイ上部に小さく光るランプ。
親指で画面をスワイプすると、LINEが一件届いていることに気づいた。
フワついた心のままLINEを開くと、何の因果か羽田さんからの初めてのメッセージが画面に浮かんでいた。
“近くまで来たから今からお店に行くね!オススメの映画教えてね!”
卯月は無機質な表情のパソコン画面めがけて叫んだ。
「スクール水着食い込み女子校生のイケない授業〜〜〜っ!!!」
ー完ー