額収日記、あるいは雑詩/2
人生でおそらくはじめて五反田に来た。「これがぼくのゲンロンカフェデビューだ」との期待感をもっての訪問だった。しかし、ゲンロンカフェの入る、あの憧れの司ビルを前にしても、ぼくの心は動かなかった。少しは興味深い。しかし、はじめに予想していた感動はほとんど巻き起こらず。ぼくは信号で反対側の道路に渡り、ビルの全体像を目に収めてから五反田駅への道を再度辿って戻って行った。この意味は、おそらく次のようなことだろう。つまり、ぼくは確かに「五反田デビュー」は果たしたが、そのことと「ゲンロンカフェデビュー」との間にはぼくの精神における隔たりがあまりに大きかったのである。ゲンロンカフェは、いうまでもなくぼくの憧れの地であり、この苦難の行軍を終えた暁には出来るだけ早く訪れたいところである。そして語らいを思う存分聞く。そう、ゲンロンカフェは語らいを聞く場なのであって、その目の前を通り過ぎることによっては、ぼくのこの憧れの気持ちは到底満たされえないものなのだった。そのことを認識できただけでも満足である。受験頑張ろう。
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さて、東京駅丸の内中央口から丸の内の広場にはき出される。行幸通りを西進、お濠端に出たことろで左に曲がり、日比谷公園まで一路南進した。公園に着いたのは良いものの、少し迷った末に日比谷図書文化館にようやく入る。三階へ階段をあがる。ゲンロン0、10〜13をガバッと手に取り、奥の椅子の前の机に置く。スッと腰掛け、『0』を手に取り、読み始める。少ししてサッと足を組む。このようにして、楽な姿勢で読書の世界に没入したぼくであった。
帰りは、始めは来た道を辿るように東京駅前までやってきて、そして皇居前広場に分け入って行った。日本人のお年寄りもさることながら、外国人の観光客も多い。しょっちゅうすれ違う。もちろんスーツ姿の人も。それにしても人が多い。不思議に思っていると、乾通りの一般公開をしていると知る。この陽気である、道ゆくサラリーマンは上着を脱ぎ、南欧系と思しき観光客は半袖で辺りを物見遊山。「立ち止まらずお進みください」とかなんとか叫んでいる係員の人も大変だ。認めたくはないが、既に冬は終わったのである。そして、次の冬の来る頃、ぼくは一層の苦難を強いられていることだろう。
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皇居前広場はきれいだ。広々としている(「広場」なのだから当然だが)。丸の内周辺の「広々感」は、猥雑さをそのアインデンティティとさえしている我が街東京において、ほとんど異質といってよいほどかもしれない。おりしも雲を掻き分けて、空は快晴の表情を見せ始めていた。東京駅前の高層ビル群をまじかに見つつ背丈ほどの小さい松の木が整然と並び、奥には二重橋と旧江戸城の伏見櫓がのぞく。この光景は非日常感が強すぎてぼくは馴染むことができなかった。雑多であるはずの東京が、天皇制にばったり出会う場所が皇居であるとするならば、ぼくのこの戸惑いもなにやら感慨深い。
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ぼくはチェコスロヴァキアが好きだ。その思いを詩に表現してさえいる。チェコが好きでもスロヴァキアが好きなのでもない。その風習、文化を愛しているわけでもない。いわばぼくはトマーシュ=マサリクの子である。マサリクは、チェコスロヴァキアの父でもある。つまり、チェコスロヴァキアは歳の遠く離れたぼくの兄なのである。ぼくは弟として、チェコスロヴァキアを敬愛しているのである。もちろん、その視点のために生じる問題も重々承知しているつもりだが、今のぼくの心情を表そうとするとこう書かざるを得ないである。
そうすると、ある人物を父として、その創作物を子、そしてそれを受容したわれわれもまた子として比喩できる。少し強引だが、これはキリスト教の三位一体説に引き付けて考えられるかもしれない。ある人物Aが、別の人物Bを尊敬する。このとき、Bは父なる神であり、Bの創作物C(なんらかの形があるもの)は子なるイエスである。Cが形を持っていることは、いわゆる「受肉」として理解できる。さらにまたAも、同じくBを尊敬する人々、つまり父の「子ら」の一人である。しかし、AとCとの間には、どちらも共に「父の子」であるが、実際にはそれ以上の差が広がっている。なぜなら、BとC、つまり神とイエスは一体だからである。AはCを我が物としたいと願うが、そこには厳然として創作者Bが存在するから到底無理なのであって、ゆえに、人は大抵の場合あるものを愛好するとき同時にその創作者をも尊敬するのである。さて、「三位」というからにはB(父)とC(子なるイエス)以外にもう一つ必要だが、それはなんだろう。なんとなく、Bの発する「声」Dとでもしておこう。形をもたない声。うん、ちょっと聖霊っぽい。
※以上は、キリスト教には全く無知で、したがって三位一体説についてなにも理解していない不心得者の書いた唾棄すべき妄想である。全ては佐藤優のせいで、こんなものを書いてしまった。ぼくに対する佐藤優の影響の大きさを汲み取っていただけると幸いである。