額収日記、あるいは雑詩/1
氏もかねがね行っていることだが、完全に民間で、独立した状態で言論なり芸術に携わるというのは並大抵なことではない。世間でよく言われる「金のことは気にせず自由にやれる」状態とは大抵、「金のことは気にしないでいいと今は言ってくれる、金のことを常に気にする資本家」に依存した状態なのだ。その点、ゲンロンは良いと思っているのであった。
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ぼくは総武線に乗った。下りだ。どこへゆくとも決めず、10:00以降に到着するように時間を潰そうと思った。車内はガラ空き、適当に座り、詳説世界史をめくる、なんとなくソワソワして内容が入ってこない。少しは後ろめたいのかもしれない。中野で止まった。おや。同じ方面に乗り換え、そこからまた数駅揺られる。9:50ぐらいに反対方向へ。まだまだソワソワ。そしてまた新宿へと舞い戻ってくるのだった。
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ブックファーストに着いた。入り口を入ると、目の前に話題書のコーナーが迎えている。お目当ての本は…あった。『ゲンロン14』、氏のサイン入りである。もちろん両親には言えない。秘密に買うしかない。なくならないうちに手に入れるにはチャンスは今日だと、そのときはただただ漠然と思い、漠然と今日を迎え、漠然と実行に移したのだった。「漠然と」という言葉で贖罪になるとは思っていない。むしろぼくは、罪の意識さえ抱いていない。そんな男だ、ぼくは。
「人文・思想」コーナーは下にあるらしい。話題書に見切りをつけ、会計のためにそこにもサイン本が置いてあることを祈って、ぼくはそのフロアから出ようとした。階段がない。どうやら直接下には行けないらしい。店内マップを確認すると、一度外に出て、そこから階段で下に降りなければならなかった。この雨の日に、なけなしの屋根の下、濡れた階段を降りてぼくはB2フロアのドアを開けた。相変わらず迷路のような棚を抜けて、ゲンロン関連の書籍群を探す。西洋哲学…ではない。東洋思想…でもない。あった。日本思想なるコーナーであった。結構広々としたスペースが確保され、著者名には知っている名前も、知らない名前もある。その中にあってだいぶ右のほうに、氏のコーナーがあった。ゲンロン刊行本が一堂に介されている。なんと本誌も氏のコーナーである。少しびっくり。そして案の定、サイン入り『14』も、そこに鎮座していた。ここ近辺でだいぶ時間が潰せそうだ。
凄い。氏の著作はだいぶ揃っているのではないか。とりわけ昔の著作が充実している。見たことのない書名さえ。全部で15冊ある中でふとはじめに手にしたのが『郵便的不安たちβ』開いてみて少し驚く。そうだった、これには「ソルジェニーツィン試論」が掲載されているのだった。難解だった。他のページも見てみると、二段組みながらも上下の一行あたりの文字数が下の方が2倍ぐらいある異な論文に出会う。全体の題名は「オタクから遠く離れて」。蓮實重彦は確実に氏にも影響を及ぼしているようだ。その構造の故事は氏の文章で知っていた。デリダのある著作は、二段組みの上下が別々の論文で構成されているらしい。これもやはり上下とも違う論文であり、しかし対比して読むようにこのようにしていた。仕掛けに笑う。下の題名が「オタクから」、上が「遠く離れて」。とてつもない興味が湧き、読んでみる。分量がより多い「下」では、氏のオタク遍歴が綴られていた。それも語り下ろし調に、面白く。その内容に唖然。ビューティフル・ドリーマー、お前もか。
さて、紀伊國屋にやってきた。地下の料理屋はなぜか軒並みしまっている。あとで調べると、耐震工事のため一時閉店しているのだそう。工事は既に終わっていた様子なので、じきに開くのだろう。そして、まずはエレベーターで7階学習関連書籍のブースへ。少し迷って、世界史コーナーに到着。教科書を探すが、ほとんどない。学校の先生に紹介されたものはおそらく一冊もない。唯一教科書らしきものは山川の「世界史探究」。新学習指導要領のやつか?わからない。とりあえず読んでみるが、まあ教科書には違いない、構成はしっかりとしている。これに30分ほど費やす。次はまたまた「日本思想」コーナー。もちろん『ゲンロン』本誌は揃っている。しかし、哲学関連の叢書として。そこには氏の他の著作はおいていない。探してみると、その横の、著者名で分けられたコーナーにあった。先ほどとはだいぶ少ない。
今日は結構ソワソワしてしまった。常に時計を確認したくてしょうがなかった。
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