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【~連載~静岡の歴史を学ぼう216】Stone monument for Hélène Giuglaris Part1  エレーヌ・ジュグラリスの石碑 パート1

※ この記事は「静岡移住計画Facebook」に掲載しております。


心地よい海風を感じに三保松原に行ったら、この石碑を見つけてください。羽衣の松のすぐ隣にあります。

この地に憧れを抱いたフランスの女性舞踏家を記念しています。


エレーヌ・ジュグラリスの石碑

Stone monument for Hélène Giuglaris Part1

エレーヌ・ジュグラリスの石碑 パート1

Hélène Giuglaris is a French female dancer who loved the ‘Hagoromo’ of the Noh performance.

エレーヌ・ジュグラリスはフランスの女性舞踏家で、能の演目である「羽衣」を愛していました。

She enthusiastically admired this place, Miho-no-Matsubara, which is a legendary location for the Noh play ‘Hagoromo.'

彼女は心より三保松原にあこがれを抱いていました。能の演目「羽衣」の伝説的な舞台となった場所です。

三保松原 提供:静岡市

羽衣の松 提供:静岡市

She was born in Camper, Brittany, in 1916.

彼女は1916年ブルターニュのカンペールに生まれました。

In her childhood, she took lessons from Isadora Duncan, who is well-known as a pioneer of modern contemporary dance.

幼少時、現代創作舞踏の先駆者としてよく知られる、イザベラ・ダンカンより教えを受けました。

Helene became a professional dancer; however, she could not be satisfied with her own dancing expression.

エレーヌはプロの舞踏家になりましたが、自分の舞踏表現に満足できませんでした。

She got interested in Japan’s Noh play while seeking more artistic expression.

彼女はより芸術性の高い表現を模索している時、日本の能に興味を持ちました。

浮世絵「羽衣」
東京都立図書館 デジタルアーカイブより

She wanted to expand her world of dancing by incorporating Noh play into her performances.

能を彼女のパフォーマンスに取り入れることで自分の舞踏の世界を広げたいと考えました。

However, the time period was just before, during and immediately following World War II.

しかしその時代は第二次世界大戦の直前、最中、そしてその直後でした。

Getting materials about Noh play at that time was almost impossible.

当時、能に関する資料を手にするのはほぼ不可能でした。

But she managed to get a vinyl copy of Noh play and other materials.

しかし、彼女は何とかして能のレコードと他の資料を手に入れました。

Surprisingly, she proceeded with her research by translating and transcribing the music with the cooperation of her supporters.

驚くべきことに彼女は周りからの協力を得ながら、翻訳をし、曲を楽譜に書き起こすことで研究を続けました。

Finally, in 1946, she performed her own Noh play for the first time.

ついに1946年、彼女は初めて彼女自身の能の演技を発表しました。

(参考資料)

清水区観光ボライティアガイドの会 2018年8月25日

「エレーヌ、夢のかたみ(もう一つの羽衣伝説)・・・・・三保松原(その2)」


  

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