【~連載~静岡の歴史を学ぼうシリーズ142】Kuichigai Gate喰違門・くいちがいもん
※ この記事は「静岡移住計画Facebook」に掲載しております。
駿府城公園にあるこの門の跡の正式名称は「駿府城東喰違御門跡」。(すんぷじょうひがしくいちがいごもんあと)。長い。
江戸城にも「喰違御門」(くいちがいごもん)があります。この形式は「食い違い虎口」(くいちがいこぐち)と呼ばれる日本の城にある入り口のスタイルです。
Kuichigai Gate
喰違門・くいちがいもん
’Kuichigai’ in the Japanese language has a lot of meanings.
日本語の「食い違い」にはいろいろな意味があります。
Mainly, many Japanese think of "discrepancy," which causes misunderstandings among people.
主に、多くの日本人は、人々の間で誤解を引き起こす「食い違い」を思い浮かべます。
This term, Kuichigai, also has a physical meaning of disconnection.
「食い違い」というこの言葉は、つながっていないという物理的な意味もあります。
In historical Japanese castles, a gate that used unconnected stone walls could often be found.
日本の歴史的なお城には、つながっていない石垣を使った門も良く見られました。
Originally, this style of entrance hindered enemies from easily entering castles.
元々、この入り口の型は敵が簡単に侵入するのを防ぐ役割がありました。
When Lord Tokugawa Ieyasu built Sumpu Castle in 1608, he and his son, the second shogun, Tokugawa Hidetada, ruled Japan influentially.
徳川家康公が1608年に駿府城を建てた時、ご自身と息子である2代将軍徳川秀忠がしっかりと日本と統治していました。
However, the castle had to show the dignity of the powerful ruler.
しかし、この城は力のある為政者の権威を見せつける必要がありました。
So the systems to avoid enemies’ entering had to be used in this castle.
ですから、城には敵の侵入を防ぐシステムを使わなくてはいけませんでした。
Until today, the stone wall was within the premises of the Sumpu Castle Park.
今でも駿府城公園内にはその石垣があります。
It can be seen in a children's park behind the oden shop.
おでん屋さんの裏にある児童公園で見ることが出来ます。
(参考資料)駿府城独案内 静岡市観光交流文化局歴史文化課
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