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【~連載~静岡の歴史を学ぼう309】 家康公はシティデザイナー その7  札ノ辻とは?

※ この記事は「静岡移住計画Facebook」に掲載しております。


 静岡伊勢丹前の交差点のことを言う時、静岡の地元民は「札ノ辻の交差点」と言います。

交差点にあるビルを見上げてみます。本通側は「札ノ辻クロス」駅側は「札ノ辻ビル」。

札ノ辻交差点
左側のビルが「札ノ辻クロス」右側が「札ノ辻ビル」
中央に見えるのは静岡県庁本館

 ほ~ら、やっぱり札ノ辻って名前がみんなにとってしっくりくるのね、と思うのですが、果たして「札ノ辻」とはどういう意味なのか、ご存じでしょうか?

 「辻(つじ)」とは、デジタル大辞泉によると「道路が十字形に交わる所。四つ辻。十字路」とあります。

 では「札」とは?一瞬、カードのようなものだと思いませんか?(え、私だけ?)

この「札」とは「高札(こうさつ)」の事です。


 再度、デジタル大辞泉に聞いてみましょう。「主に江戸時代、法度(はっと)・禁令・藩税人の罪状などを記し、一般に告示するために町辻や広場などに高く掲げた板の札・明治6年(1873年)廃止。たかふだ」

 ちょうどこの交差点の辺りは、町人地の中で最も駿府城に近いところでした。駿府奉行所にも近く、支配層の武士が「これをちゃんと見なさいよ」と町人たちに記すのに都合が良い場所だったと考えられます。


呉服町、葵スクエアにある石碑にある絵図より
札ノ辻の様子が分かります。

 またに西から駿府にやってくる旅人たちが、安倍川を越えて駿府のまちに入り、新通に立った時、富士山をバックにした堂々たる駿府城がちょうど目に入るように計算されて作られているのが駿府のまちなのです。(という説が説得力あり)

 もちろん旅人たちに徳川家の権威を示すため。その彼らが駿府のまちに入り、札ノ辻に来ると、より一層、駿府城が大きく見えます。その大きな天守がまさに力の象徴として威厳を示したに違いありません。

と、そこに高札があったわけです。

 「このようなことには必ず従うように」という法度を旅人は見て、家康公が亡き後も「お大御所様が作られた駿府にあるきまり」に影響を受けたと考えられます。

 2023年3月25日、地元の「I Loveしずおか協議会」は駿府の歴史を伝えるために、現代の札ノ辻に江戸時代の高札場を再現し、設置しました。高札場を通して、自分たちのまちの歴史への関心を高めたい思いがあるのです。

 江戸時代と同じ場所に高札場を建てようと思ったら、それは道の真ん中になってしまいます。

 近い場所として、静岡伊勢丹の一角が選ばれました。


2023年3月25日 高札場除幕式
  左から・(株)静岡伊勢丹 秋野 孝三 社長  
        ・I Loveしずおか協議会 沼田 千晴会長   
       ・静岡市 田辺 信宏市長(当時)   
      ・直木賞作家 安部龍太郎先生

 お披露目の当日には、歴史小説家で直木賞作家の安部龍太郎先生が除幕式に参加なさいました。その後、札の辻クロス内で講演会が行われ、安部先生はこのようにおっしゃっていました。

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 「現代の日本で世界に誇ることが出来る、職業倫理、公共道徳の高さは江戸時代から引き継がれているものだ。現在の思想・哲学の行き詰まりを考えた時、中央集権・重商主義の限界がある。江戸幕府の分権主義・農本主義を考え直すことも必要ではないか。現代の日本人が何か行動を起こすときではないか。

徳川家康の思想を再評価して現代に生かしていくことが大事だ。そのためにも帰る時に札ノ辻の高札に書かれてあることを読んで、江戸時代について知ってほしい。」


高札復元内容

(参考資料)「大御所四百年祭記念 家康公を学ぶ」
https://www.visit-shizuoka.com/t/oogosho400/index.htm