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【~連載~静岡の歴史を学ぼう138】City Planning in Sumpu Part2   駿府の都市計画 パート2

※ この記事は「静岡移住計画Facebook」に掲載しております。

静岡市葵区の中心部は家康公が400年前に設計された基礎の上にあります。

駿府の街の特徴について、前回二つ申し上げました。①社会的地位によって住む場所を区分。武家地と町人地。②駿府城の南側に町人地が戦略的に置かれ、効果的に機能していました。

駿府鳥瞰図  静岡市葵区呉服町 札ノ辻交差点にて


City Planning in Sumpu Part2

駿府の都市計画 パート2

For example, Gofuku-cho, a district for kimono merchants was placed near the castle to supply the kimono for the samurai.

例えば、呉服商の地区である呉服町は武士たちに着物を提供するためにお城の近くに位置しました。(江戸時代の前から呉服町は現在の位置にありました)

現在の呉服町  

Togiya-cho, a district for swordsmiths, was placed next to high-ranking samurai districts.

刀研ぎの地区である研屋町は高級武士の地区の隣にありました。

研屋町 町名碑

Zaimoku-cho, a district for timber merchants, was located along the Abe River, since its current was used to carry the logs from the upper areas.

材木町は木材商の地区で、安倍川沿いにありました。川の流れを利用して木材が運ばれてきたからです。

材木町 町名碑

In general, these commoners' central districts were divided into about 100-meter square lands.

一般的に、庶民の地区は(碁盤の目のような)100メートル四方の区画になっていました。

This placement encouraged local residents to clean their districts because their places could easily be compared.

この配置によって、それぞれの地区が容易に比べられるので、住民たちは自分たちの地区をきれいにしました。

七間町 石碑にある駿府古地図より 碁盤の目のような街並みが見える

It is considered that Lord Ieyasu built a significant mechanism to administrate the city efficiently.

家康公が街を効率的に治めるために大事な仕組みを作ったと考えられています。

Third, Buddhist temples were intentionally placed in the western edge of the city.

第3に、仏教寺院が意図的に街の西はずれに配置されました。

This zone played an important role as military defense.

この一帯は軍事防衛的に重要な役割を果たしました。

七間町の石碑にある古地図より。寺院が西側に配置されている。(水色線で示す)

At that time, potential threats for the Edo feudal government were considered to attack from the west.

当時、江戸幕府への潜在的な脅威は西からの攻撃だと考えられていました。

The Buddhist temples functioned not only as a shield for the city but also as a place for stationing soldiers by taking advantage of their large premises.

仏教寺院は街に対して盾となるだけでなく、その広い敷地を活かして兵を駐屯する場所として機能しました。

This area was called Tera-machi, which literally means an area for Buddhist temples.

この地域は寺町と呼ばれ、文字通り、仏教寺院の地域を意味しました。

旧・寺町 町名碑

After WW2, these temples were relocated to the suburb called Kutsunoya, and the original location was turned into a fire prevention zone, the present Tokiwa Park, where residents can enjoy relaxing.

第2次大戦後、これらの寺院は沓谷という郊外の地区に移され、そして元々の場所は防火対策の地区になりました。現在、この場所は常盤公園として、地元住民がリラックスする場所となっています。

寺町は現在、市民の憩いの場、常盤公園に(静岡市葵区常磐町)



参考資料:大御所400年祭記念 家康公を学ぶ

制作統括 元大御所四百年祭推進室 専門員 黒澤 脩

https://www.visit-shizuoka.com/t/oogosho400/index.htm


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