ボーリング ~ 短編笑説④ ~

「見て、ユキ。この動画泣けない?」
学校から最寄り駅までの帰り道、麻央がスマホを見せてくる。
動画は街中で撮ったであろうものだった。
TikTok で流行っているバラードを BGM に使っている。
それが実にマッチしていた。
男が地べたにしゃがみこみ、ただただ空を見上げて泣きじゃくっている。
それだけの動画だが、再生回数はすでに 100 万回を超えている。
いいねも5万以上ついていた。男がしゃがみ込んでいる場所には見覚えがあった。よく買い物に行くあたりだ。
男は少し面だが見た目は格好いいと思った。
すごく愛してた人がいなくなってしまったのだろうか?
BGM がラブバラードだからなのか、そう思ってしまう。
心から悲しんでいることが痛いほど伝わって来て胸が苦しくなる。
私がいなくなっても今の彼氏はきっとここまで悲しんではくれないだろう。
私は息苦しさから逃れるように空を見上げた。
空の青がいつもより優しく輝いて見えた。

俺たちは運よく空いていたソファー席にどっかと座った。
「ここのパンケーキ最高っすよ」
「そうか、そいつは楽しみだな」
極道でも甘いもの好きは結構いるものだ。
たまたま兄弟の盃を交わした二人が二人とも甘党でもおかしくはない。
俺たちは一目でヤクザとわかる出で立ちではなかったが、
2,3 分も観察すればカタギじゃないことはわかる。
公園通り添いのウッド調の小洒落たこの店はインスタで見つけた。
ヤクザもインスタは見るし LINE も使う。TikTok も結構見ている。
俺たちはしのぎの関係上、女がよく使う SNS は知っておく必要があった。
俺は店内を見廻しながら言った。
「結構、可愛い子いますね」
周りは若いカップルや女の子のグループで埋め尽くされている。
「そうか?みんなしょんべん臭いガキだぜ」
古田はそう言いながら、紙ナプキンでテーブルを端から端まで拭いた。

古田は俺の兄貴分で、恩人だった。
スカイツリーが竣工を迎えた頃、俺は希望に満ち溢れて田舎から東京に出て来た。一年も経てば、俺の中から希望みたいなものが空穴になった。
何をやってもうまくはいかなかった。不貞腐れた俺はいつしか渋谷で悪さをするようになった。
ある時、半グレ連中ともめごとになり奴らに殺されそうになった。
その時、俺を救ってくれたのが古田だった。
俺は歳も近いことから古田を慕うようになり、古田は俺を可愛がってくれた。古田のいる組に世話になることがごく自然な流れだった。

俺は自分の話をする前に古田に話を振ってみた。
「アニキはマジの女、そろそろ作んないんすか?」
アニキは口を尖らせる。
「てめぇも、チョンガーじゃえねかよ」
「俺は女、適当にいますよ」
「馬鹿野郎。女を適当に扱うんじゃねぇ。女がいるから男はいかされるんだよ。下ネタじゃねぇぞ」
古田のこの台詞は何度も聞いた。どうやら母一人子一人で育ったことや母親が大阪でストリッパーをやっていたこと、他のストリッパーたちと親子でそのストリップ小屋に住み込んでいたこと、それらが古田の価値観や人間形成に影響していると思われた。特に女に対して自分がどう見えているか?どう思われているか?を病的に気にする傾向があった。

パンケーキが運ばれてきた。俺のパンケーキには生クリームがどっさり乗っかっている。
古田のパンケーキには小豆がたっぷり乗っかっていた。
アニキはパンケーキを運んできたウェイトレスに男の従業員を呼ぶようにと言った。
しばらくして厨房の方から従業員らしき男が出て来た。
「お客様、お呼びでしょうか?」
アニキは軽く笑みを浮かべながら言う。
「この小豆のパンケーキ、メニューの写真と小豆の量が違うんだけどさ、何とかなんねぇか?」
確かにメニューの画像では溢れんばかりに小豆が乗っけられているが、実際に今運ばれてきたパンケーキはそれほどでもなかった。
この店に似つかわしくないクレームに従業員の男は困惑した表情になっている。たぶん創業来初めての事なのだろう。
古田は何も言わずスタッフの男をじっと見つめている。
決して睨みを利かせている訳ではなかったが、スタッフの男は耐え切れずに、少々お待ちくださいと言い残し、その場を離れた。
「こう言うことは、きっちり言っとかねぇと。結局、周り回ってこの店の為にもなるからよ」
この台詞もよく聞く台詞で、今見たのもよく見る光景だった。
この前見たのは確か恵比寿の中華屋だった気がする。
周りから見るとヤクザが因縁をつけているとしか見えなくもないが、古田は因縁とは思っていない。単純に嘘やまやかしはダメだということを主張しているに過ぎなかった。ただし女の従業員しかいない店では主張は控えられた。

まもなくして、小豆がいっぱい乗ったパンケーキが運ばれてきた。
「こちらと取り返させて頂きます。申し訳ありませんでした。」
そう言って、スタッフの男は頭を下げ、パンケーキの皿を取り替えた。
古田は戻ろうとするスタッフの男を呼び止め、紙ナプキンをあと3つ持ってくるようにと頼んだ。
「おまえの担当の店もそうだ。パネルの写真と実際に出てくる女の見た目が全然違うじゃねぇか」
いかがわしい店特有のあるあるだが、古田にはそれも許されないようで、組からは女関係のシノギから外されている。
「気をつけます」
とんだとばっちりだったが、俺は素直に頭を下げた。

スタッフの男が紙ナプキン 3 枚をテーブルに置いていった。
「おう、ありがとう」
アニキはポンとスタッフの男のケツでも叩きそうな勢いで言った。
機嫌は悪くないようだった。
古田は持ってきた紙ナプキンを開けて、もう一度テーブルを拭いた。
「お前の言うように、俺も正直そろそろ身を固めるのも悪くはねぇなとは思ってんだ」
アニキがこの手の話を自分からするのは初めてのことだ。
自分から話を振ったものの、俺は内心少し驚いていた。
「俺さぁ、ちゃんとデートっていうものをしたことねぇんだよ」
アニキはちっぽけなカミングアウトまでした。
「この先、運命の人と出会うとするだろう?最初のデートでどこに連れて行くか、これが大事だと思うんだよな」
話の内容と可愛いパンケーキは合致しているが、目の前にいるのは初心な女子高生ではなく、ヤクザの兄貴分だった。俺はどういう表情をしていいのかわからないまま、いったん話を合わせることにした。
「最初のデートっていやぁ、悩みますからね」
「俺が連れていくとしたら、どこに連れて行きゃあいいんだ?」
アニキはパンケーキを頬張りながら訊いてきた。
機嫌が良すぎるのにも程がある。
「カタギの女と、ですよね?」
俺は念のために確認した。
「あたり前だ」
古田の眼光が鋭くなったのを見て、俺は真面目に考えることにした。
「アニキ、ボーリングうまいじゃないすか?ボーリングとかどうですか?」
「ボーリングかぁ」
まんざらでもない感じだった。俺はボーリングを推すことにした。
「ボーリングって、二人で楽しく盛り上がって、仲良くなるイメージないすっか?」
「いや、だがな。ボーリングって何か汚いイメージないか?」
「汚い?ですか・・」
「靴はみんな使い廻してるじゃねぇか。ボーリングの球も誰が指を入れたかわかんねぇ穴に入れないといけねぇし」
確かにそういう考え方もあるかも知れないが、汚いと言うのではない気がする。
「そんな風に考えたら、何にも出来ないっすよ。このご時世きっちり消毒してくれてますって」
俺はボーリング場を全面的に擁護した。
「それによ、男が選ぶ球なんて、だいたい 14 ポンドが相場だろ?」
「まぁ自分もだいたい 14 ポンドです」
「それで俺が赤紫の 14 選んで、女が前の赤紫の 14 の男のことを思い出して泣いちまったらどうすりゃいいんだ?」
確かに 14 ポンドは赤紫が多かった気もするが、黒も緑も何色でもあったのではないか?そのことは口に出さずに、俺はポンドに注目した。
「じゃあ 13 ポンドを選べばいいんじゃないですか?それだったら前の男とかぶらないでしょ」
古田はパンケーキと小豆を交互に食べている。どうやら一緒には食べない方針みたいだ。
アニキは小豆を口に入れながら言った。
「それじゃあ、俺が前の男より力がねえみたいじゃねぇか」
ボーリングの球の 1 ポンド差であの男は力があるとか、この男は力がないとか、女はみんな思うのだろうか?いや、絶対思わないだろう。だがそのことも口に出さず、
「そしたら 15 で、いきましょ。だったら前の男より力があると思われ…」
俺の話しが終わるのを待たずにして、古田はフォークを自分のパンケーキにぶっ刺した。
「俺が嘘嫌いなのわかってるだろ?普段 14 の俺が 15 にして、自分に嘘ついてまで、女と付き合って何の意味があんだよ!」
嘘が嫌いなことは重々承知しているが、ボーリングの使用球を普段 14 ポンドのところを15 ポンドにするだけで嘘になるとは思いもよらなかった。
古田の病的思考により不毛な会話になった場合、いつもならもう話を切り変えていいタイミングだが、俺にはせっかくのアニキのカミングアウトを無碍には出来なかった。
俺は真っ向からアニキを受け止め、話を着地させることを選んだ。
「レンタルでごちゃごちゃ迷うんだったら、思い切って専用のマイボール買ったらどうすか?」
俺はさらに提案してみた。
アニキはぶっ刺したフォークをパンケーキから抜き取り、ふっと笑みをこぼしたが、すぐに渋い顔になって言った。
「簡単に買えって言うんじゃねぇよ」
古田は金勘定にも細かかった。要らないモノは 100 円ショップでも絶対かごに入れなかった。古田のかごに許可なく品物を入れようものなら後でこっぴどくやられた。俺も綿棒のパックを入れて2時間詰められたことがあった。それでも俺は一旦食い下がってみた。
「腹くくって買ったらいいじゃないすか。マイボール」
古田はシケモクを吸ってるような面構になった。
「お前いつから中国ファンドになったんだ?」
ちょうど、うちの組で北海道のとある土地の買い占めを中国ファンドと組んで進めていることは聞いてはいる。
「俺、そんなでかい買い物の話してないっすよ」
俺は即座に答えた。
「そしたら、買うと決めたとする。色々聞いていいか?」
そう言うと、古田は小豆の残りをフォークで集めて口に入れた。
俺はアニキが話し出すのを待った。
「どんな球を買ったらいいんだ?」
アニキの口からようやく出た質問はそのまんまのものだった。
俺は反射的に答えた。
「14 ポンドの赤紫っす」
「違ぇよ。俺が言ってるのは穴の大きさだ」
「穴すか?」
俺は少し面食らった。
「いざ買うとなったら、やっぱりワンサイズ大きめの穴がいいんじゃねぇかと思うんだ」
気付くとアニキはやや前のめりになっている。
「何で大きめなんですか?」
俺の疑問に『地球は丸い』くらい当たり前のようにアニキは答える。
「指が成⾧するからに決まってるだろう」
指が何歳まで成⾧するものなのかは知らないが、さすがに古田の歳ではもう成⾧することはないはずだ。
中学に入学する子供の親御さんが学生服を買う感覚でボーリングの球を選ぶ奴はアニキくらいだろう。
「あと、昔、ピタ T っていうのがあったよな」
俺は一瞬アニキが違う話をし出したのかと思った。
「逆にピタピタの穴の球が流行ってんだったら、流行に乗ってその方向でも考えないといけねえしな」
話は穴のままだった。俺は思ったことを言ってみた。
「穴がピタピタだったら、指が球から抜けなくなって、そもそもゲームが出来ないんじゃないですか?」
アニキは最後の一切れのパンケーキを口に入れながら言う。
「そこまでピタピタの話はしてねぇんだ」
そこまでとはどこまでのピタピタなのか、俺にはわからなかった。
古田はまた新しい紙ナプキンを開けてゆっくり口元を拭った。
「お前の言うほどのピタピタだったら、指が抜けたこと自体が嬉しくなんねぇか?ピンが一本も倒れなくても、抜けた、やったーって、なんねぇか?」
アニキの言う事は確かにそうかも知れないと思うが、そもそもピタピタの話はどうでもいいことだ。
「抜けねぇ奴はどうすんだ?ボーリングの球を指につけたままの生活が始まっちまうぞ。それはヤクザでも結構無理があるんじゃねえか?」
ヤクザでもカタギでもボーリングの球が抜けない状態での生活は身体もメンタルも相当やられるに違いない。
指がボーリングの球から抜けなくなったヤクザはどう生きていくのか?
シザーハンズのような悲哀の物語になる気がした。
とにかく不毛な球の穴の話は終わらせなければならない。
「ともかく、ちょうどいい感じのボール買ってくださいよ」
「だから何ですぐ買う方向で話、進めんだよ!」
アニキは少し苛立ったようだ。
「買うしかないでしょ。そんなごちゃごちゃ言うんだったら」
俺も少し語気を強めてみた。
アニキは水を一口飲み、自ら少し落ち着けようとしている。
「じゃあ仮にボーリングの球を店で買ったとしようや。あんなに重たくて大きい球、どうやって持って帰ったらいいんだよ」
球の穴の話はようやく終わりを告げ、今度は球の持ち帰り方の話になったようだ。
「専用のカバンが売ってますから、買って入れて持って帰ってください」
俺はプロボーラーの持っている専用の入れ物を思い出していた。
スポルなんとかのメーカーがあった気がする。
「また買えってか?てめぇ、いくら俺から金巻き上げんだ?」
古田の家は幼いころから相当貧乏だったらしい。父親が借金の保証人になったことがそもそもの始まりだったと聞く。
それで架空の話でも金の事となるとアニキは感情を高ぶらせた。
「これ以上、金を使うのは違うだろうがぁ!」
俺は金を使わないで済む案を出すことにする。
「じゃあ家からコンビニのビニール袋持って来て、球を入れて持って帰ってください」
古田はロバート・デニーロのように両手を上げてせせら笑った。
「ハハハ、破れるぜ」
言われてみりゃあそうなのだが、そんな風に言われると少しむかつく。
古田はデニーロのまま話を続ける。
「しかもだ、俺たちの事務所は道玄坂の一番上だぜ。事務所の前でビニール袋が破れたらどうなる?マルキュー超えてスクランブル交差点まで転がって交番に突っ込んじまうぜ」
俺は想像した。ボーリングの球が勢いよく転がってスクランブル交差点に突っ込み、次から次へと人をなぎ倒していくところを。
昨今の高齢者ドライバーの痛ましい事故の映像もダブる。
交番もきっと新手のテロと思うかも知れない。
さすがにアニキにそんなリスクを背負わせるにはいかなかった。
俺は打開策を提案する。
「それだったら、3 枚いや 5 枚ぐらいスーパーのビニール袋を重ねて持ってきて、球を入れて帰れば大丈夫です。絶対破れませんから」
「おい、今何月だ?」
違う角度からアニキは訊いてきた。
「・・12 月っすけど」
「いいか?スーパーの袋にあんなにまん丸いもの入れてたら、そこらの女連中に『こんなに寒いのにまだあのヤクザ、スイカ買ってるわよ?』って思われるじゃねえか」
ヤクザが冬場にすいかを買って何がいけないのだろうか?俺には理解できなかったが、アニキの病的思考の中では許されないようだった。
俺は仕方なくビニール袋案を捨てるが、すぐに妙案が浮かんだ。
「あっ?歩いて行くからじゃないすか?事務所の原付バイクで買いに行けばいいじゃないっすか?バイクのメットインにちょうど球、入りますよ」
「お前は危機管理能力ゼロかよ」
えらい言われようだった。
古田の『危機想像能力』が異常値を示しているだけなのに。
「確かにメットインはいいアイディアだ。けどな、交通事故を起こした場合はどうなるんだ?」
そう言えば古田は幼い時、親子でひき逃げ事故に遭っていた。
何でも救急車の到着がだいぶと遅れたとかで、その時に父親を亡くしたとのことだった。
「車にぶつけられて本当は 5 メートル以上ふっとぶ事故が、ボーリングの球をメットインに入れてるから、重さでいつもより飛ばねえんだよ。そしたら、目撃者が勘違いするじゃねえか?この事故大したこたねえって。誰も救急車を呼んでくれねえ気持ちがわかるか?てめえによ」
アニキはそう言うと、幼いころの事故のことを思い出しているのか少し遠い目になっている。
俺も思い出していた。こんな不毛な会話をするために俺は古田に時間を取ってもらったんじゃなかった。
俺はアニキにお願いすることがあった。
その前に形式的に古田に話を振っただけで、俺のターンですぐにお願いする予定だった。ただここまで来たらアニキの話にも何らかの決着をつけなければ納まりはつかない。
極道は引いたら終わりだ。アニキがいつも教えてくれてることだ。
俺は前のめりになった。
「じゃあ書いたらどうですか?」
「何を?」
そう言いながらアニキも前のめりになる。
「重たいボーリングの球をメットインに入れてるので、交通事故を起こした場合、実際はもう 5 メートルは飛んでるとお考え下さいって、書きゃあいいんですよ」
俺はややトーンを落とし腹に少し力を入れて話した。
「お前、そんな字をいっぱい書いたスクーター見たことあるか?」
アニキも俺に合わせるかのようにトーンを落とした。
「危機管理の為ですよ。気づいて欲しいんでしょ。書くしかねえよ」
俺は少し凄んでみた。
「どこにだ?」
古田の目つきが険しくなる。
「こけた時に見えるように横に書いてくださいよ!」
「書いた方が下側になったらどうすんだ?」
古田の顔がさらに俺に近づく。
「反対側には省略して+5 メートルって書いてたらどうですか?」
「そこだけ見たら何のことかさっぱりわかんねぇんじゃねえか?」
確かにそうだ。ただ俺は引き下がらない。
「そう思ったら、ひっくり返して見てくれますよ」
しまった。俺は願望が過ぎている。
アニキはニヤリとしたかと思うと、語気を強めて言った
「それだったら『最初からひっくり返してください!』って、俺なら書くぜ!」
引き下がってたまるかとばかりに俺も語気を強める。
「そしたら!ひっくり返してくださいって書いて、反対側には+5 メートルは実際に飛んでますって・・」
「もういい」
古田は乾いた声で吐き捨てるように言った。
俺の頭には銃口が向けられている。
「ア、アニキ、それはだめでしょ」
俺は何を間違えたのだろうか?機嫌は良かったはずだった。
ほんの 2,3 秒の間が何時間にも感じられた。
「バーン」
アニキはそう言って撃つ真似事をした。
それから拳銃をテーブルの上にゴロリと置いた。
その重たい音で我に返った俺はサッと周りを見渡した。
周囲が騒いでいる様子はなかった。
アニキがようやく口を開く。
「てめえ・・」
「はい」
我ながら落ち着いて返事が出来たと思った。
アニキはうっすら笑みを浮かべる。
「ボーリングってそんなに大変なことじゃねぇだろ?」
そう言って、古田は最後の紙ナプキンで拳銃を丁寧に拭いて内ポケットにしまった。

誰かに見られていて通報されてもやっかいだ。
知らない間にスマホで撮られて SNS にアップされる時代でもある。
俺は急いで勘定を済ませ、アニキを連れて店を出た。
アニキは用事があるからと言ってそのまま俺と別れた。


その夜、アニキは死んだ。
アニキはあの後、オヤジの命令でチャイニーズマフィアのタマを獲りにいった。ファンド絡みでマフィアの幹部が裏切ったからだ。
しかし襲撃はあえなく失敗しアニキはスクーターで逃げる途中に転んで追手に殺られた。
アニキはここ一番で危機想像能力を全く使わなかったみたいだ。

次の日、俺は事務所でそのことを知った。
今日から戦争になるからとも言われた。
俺は事務所を飛び出し、ふらふらと街を彷徨った。
地べたに座り込み空を見上げた。空はまだ青くまぶしかった。
「アニキ、俺、言えてないっす。俺、ガキ出来ちまって、女と一緒になるんっすよ」
俺は空に向かって話しかけた。
そしてポケットから紙切れを取り出し空へ向けた。
それは婚姻届だった。古田に証人になってもらうためにずっと持ち歩いていたものだった。
「これに名前書いてくださいよ~」
俺の目から涙が溢れ出した。
「アニキ~」
人目をはばからずに俺は泣いた。周りからどう思われようがよかった。
ヤクザが泣いて何が悪い。悲しい時、人は泣くもんだ。
自分に嘘をついてまで泣くのをこらえて何になんだ。
アニキの声が聴こえた気がした。
俺は周りを見渡した。誰も俺を気にしているものはなかった。
「少しは気にしろよ・・」
俺は女に LINE した。
『ガキを頼む、幸せになってくれ』
クマがペコリと謝っているスタンプと一緒に送信した。

それから一気にチャイニーズマフィアと大抗争になると思われたが、
すぐに西日本の最大組織が仲介に入り、半月ほどで手打ちとなった。
向こうも日本進出の妨げになる余計なことはこれ以上起こしたくないとのことだった。アニキは無駄死だった。

俺は恵比寿の中華料理店の前にいた。
いつだったかアニキがクレームを入れた店だ。
アニキとの思い出に浸りに来たわけではなく、俺は奴らが出てくるのを待っていた。
奴らと言うのは、無論チャイニーズマフィアの幹部たちだ。
ピコリとスマホが鳴った。LINE が入ったようだ。
女からだった。あれから既読にはなっていたが、何も返事はなかった。
女からのメッセージは、『がんばるよ』と言う文字とクマがピースサインしてるスタンプ、それと短い動画だった。
動画をタップすると大きなお腹が映っていた。
女のお腹だ。
へその横のほくろに見覚えがある。
エコー検査ってやつだった。お腹の中の写真?いや動いている。
小さくドクドク動いているのがわかった。
「まだ小せぇな…お母ちゃんを頼むぜ」
俺はそうつぶやくと動画を止めた。

ちょうど奴らが出て来た。
俺は腹から拳銃を取り出し引き金に指を入れた。
引き金はピタピタでなくちょうどいい感じだった。
俺は奴らに向かって走りだした。




※短編笑説 ボーリング 2022/2


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