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コンフレーク ~ 短編笑説① ~

気持ちのいい朝だった。
ただ朝にしては、お日様はだいぶと高く昇り過ぎている。
もとより小鳥のさえずりなどなく、騒々しいゴミ収集車の登場音が聴こえてくる。要は寝覚めがよかったのだ。
階下から聞き馴染みのある雄叫びがした。
早く起きるようにと迫る母の声だった。
僕はいつも目覚まし代わりにその雄叫びを使っている。
今日はその必要もなく、僕は欠伸をきっかけに階段をゆっくり下りていった。
母はパート前の慌ただしい時間に、僕の遅い朝食を作ってくれる。
それで起きるのが遅いと僕に訓戒を与える。
それが母のモーニングルーティンだった。
僕は何気に、台所に立つ母の背中を眺めていた。
歳をとったもんだな・・
そんな TV ドラマや映画で聞いた台詞が浮かんだが、無論、口にすることはなかった。
それは今の僕が口にする言葉ではないと感覚的にわかっていたからだ。


すっかり日も暮れた頃、僕は大場の部屋にいた。急遽、彼に呼び出されたのだ。
大場は関西出身で僕と見た目は全く正反対で色黒でがっちりとした体格をしていた。
同じ大学でゼミも一緒だった。何故か彼とはウマが合った。ただ今日はいつもと様子が違っていた。
彼は意を決したように僕をまじまじと見つめながら話し出した。
「最近うちのオカンがさ、もの忘れが激しくて困ってるんだ」
大場は母親のことをオカンと呼ぶ。関西出身者に多い傾向だが、今日はオカンと言う言葉に力が入っているのがわかった。
「そうなのか?まぁ歳も歳だから気をつけてあげないとな」
そう言いながら僕はペットボトルのお茶を一口飲んだ。
「朝食でよく食べるモノの名前が出てこないって悩んでてさ」
一瞬、彼が何を言っているのか、ぴんと来なかったが、あまりにも真剣な顔をしているので、とにかく僕は一緒に考えることにした。
「君のお母さんはそれにはどんな特徴があるかとか言ってないのか?」
まずは手がかりを探さなくてはと僕は彼に聞いた。
「オカンが言うにはね。甘くてカリカリしていて時には牛乳をかけたりして食べるモノらしいんだ」
僕はどんな難しいヒントが来るか身構えていたが、拍子抜けしてしまった。
「そんなのすぐにわかるよ。その特徴は完全にコンフレークだね」
そう答える僕に、彼は一瞬ニヤリとしたが、再び表情の目盛りを「悩み」に入れ直した。
「そう思うだろ。俺もてっきりコンフレークだと思ったんだよ。でもわからないんだ」
「わからないってどういうことだよ」
「オカンが言うにはね」
どうやら続きがあるようだった。
「死ぬ前の所謂、最後の晩餐もそれでいいって言うんだ」
コンフレークを最後の晩餐で?僕は想像した。
もし死ぬとわかっている数時間前、食卓にコンフレークが出されたら?
想像するだけで僕は涙が溢れそうになった。死ぬときくらいは少しは良いものを食べたい。決してコンフレークが悪いとは言わない。ただコンフレークは寿命に余裕がある時の食事だろうということだ。
それにコンフレークにとってもはた迷惑な話だろう。
最後の晩餐はさすがに荷が重い。
僕はコンフレーク説を取り下げ、他に手掛かりはないか聞いてみた。
「じゃあコンフレークじゃないな。お母さん、他に何か言ってなかったか?」
少しも間を空けずに彼は答えた。
「どうしてあんなに栄養バランスの五角形が大きいのかわからないらしい」
僕はすぐ箱入りコンフレークの後ろに描かれている大きな五角形を思い出した。
「コンフレークだよ!それは」僕の声は自然とトーンが上がった。
続けざまに僕は⾧年思っていた一つの仮説を披露する。
「コンフレークの箱の後ろに描かれている五角形は確かに大きい。あれはね、自分の得意とする項目だけで勝負しているからなんだよ」
「そうなのか?」と怪訝な顔をする大場に僕は続ける。
「五角形をよく見てごらん。牛乳の栄養素を含んだ栄養の五角形になってるんだ。僕の目は決してごまかせないよ」
僕は解決したと言わんばかりに大場を見つめたが、彼は解せない表情のまま言った。
「そうなんだ。俺もそれでコンフレークと思ったよ。でも本当にわからないんだ」
「だから、何がわからないんだよ?」
「オカンが言うには、晩御飯に出されても全く問題ないっていうんだよ」
「じゃあコンフレークじゃないだろ」
大場の悩みは一向に解決へと向かわなかった。
僕は晩御飯でコンフレークを出された場合のことを想像してみた。
仮に母が晩御飯としてコンフレークを出したらどうするだろう?
たぶん僕は逆に母の身を案ずるだろう。
いつもパートに行く前に僕の遅い朝ごはんを用意してくれる口は悪いが優しい母なのだ。
ただこれが、将来結婚して、その新婚妻が晩御飯にコンフレークを出して来たらどうだろう?僕はきっとちゃぶ台をひっ繰り返すに違いない。
僕は亭主関白タイプなのだ。
「いいか?コンフレークに晩御飯は似合わない。朝のまだ寝ぼけている時だからこそ、食べていられるんだよ。それで、食べているうちに段々と目が覚めてくるから、最後に少し残してしまうんだ。それがコンフレークなんだよ」
僕はコンフレークについて新たな持論を述べるが、彼も反論するつもりはないようだった。
「そういうカラクリだから」と、僕は達観したように付け加えた。
「そうなんだよな」
少し落ち込んだ様子を浮かべる大場に気遣い、僕はトーンを抑えて言った。
「他に何か言ってなかったのか?」
「子供の頃、何故かみんな憧れたらしい」
「やっぱりコンフレークじゃないのか。子供の頃のコンフレークとミロとフルーチェへの憧れは相当なもんだぞ」
僕は幼い頃を思い出していた。スーパーマーケットで何のカテゴリーかわからない売り場に並んだ洋物パッケージに圧倒され売り場の前でよく茫然と立ち尽くしたもんだ。
「コンフレークだよ。それは」
僕はコンフレーク説に落ち着こうとした。
しかし彼はそれを許さなかった。
「わからないんだ。だから」
「どうしてわからないんだよ!」
僕は少し苛立ちを覚え始めていた。
「俺もコンフレークだと思ったんだけど、オカンが言うには、お坊さんが修行の時に食べるっていうんだよ」
精進料理でコンフレークなんぞ聞いたことがない。
僕は声を少し荒げることになった。
「だったら、コンフレークじゃないだろ!精進料理でカタカナのメニューなんて出さないんだよ!」
大場の表情は変わらない。僕は続けた。
「コンフレークは、朝から楽して腹を満たしたいという煩悩の塊だから!
みんな、煩悩に牛乳をかけているようなもんだ! だからそれはコンフレークではない!」
彼は僕の意見を歓迎するようにうなずいている。
まだ次の展開があると踏んで大場に聞いた。
「もう少し何か言ってなかったか?」
「パフェとかの、かさ増しに使われているらしいって」
ほらきた。しかもど真ん中だ。
「コンフレークだ!今度こそ間違いない!あれって法律スレスレくらい入っているんだぜ!」
過去の苦い経験からくる怒りが僕をさらに高ぶらせた。
「店員がもう一段増やそうとするなら、僕は今度こそ動くよ、絶対に!」
今回はかなり手応えがあった。
「それじゃ、コンフレークで決まりだ」
「でもごめん。わからないんだ」
なぜ解決には至らなかった?僕は元来、自分に甘い方だということを思い出していた。
「俺もコンフレークで決まったと思ったさ。ただオカンが言うには、ジャンルで言ったら、中華だと言うんだ」
大場はそう言うとすまなさそうに目を伏せた。
僕は一旦深呼吸し冷静に考えようと努めた。
「・・だったらコンフレークじゃないだろ?コンフレークのジャンルは全くわからないが、中華だけではないことは確かだ」
「そうなのか?」
大場はまだまだまっすぐな目をして聞いてくる。
「あの中華のテーブルの上にコンフレークを置いて、回したらどうなる?そう、みんな飛び散っちゃうだろ?だから中華は絶対ありえないんだ」
我ながら的確な分析だと思った。もちろん自分に甘い方だと認識した上のことだ。
「なるほど」
僕の分析に大場も至って同意した様子だった。
「だからコンフレークじゃないんだよ。他にもうちょっと何か言ってなかったか?」
僕はそう言いながらゴールは近いと感じていた。
「食べるとき、誰に感謝していいのかわからないらしい」
それはかねてから僕もコンフレークに感じていたものだったが、センシティブな内容だけに公言はして来なかった。今度こそ当たりだと思った。
「間違いない。コンフレークだ。コンフレークは生産者さんの顔が浮かばないからさ。浮かんでくるのは、腕を組んでいる虎の顔だけさ。赤いスカーフの虎の顔だけ」
大場は深く相槌を打った。
「そう言えば」
僕は赤いスカーフの虎を真似て腕組みする決めのポーズをしながら言った。
「これでコンフレークに決まりさ!」
よし、もういいだろう。やれやれだ。
「でも、やっぱりわからないんだ」
その瞬間、空間がはっきりと歪んだ。
僕の中で警告音も鳴り出している。
自分の耳を疑うまでもなく確かに彼はまた同じことを言ったのだ。
僕は再び深呼吸し自分を落ち着かせる。
それから諦めの悪い子供を諭すようにやさしく言ってやった。
「結局ね、君のお母さんが好きな朝ごはんはコンフレークなんだよ」
「でもオカンが言うには、コンフレークではないっていうんだよ」
大場のその言葉はいきなり頭の上に金たらいが落ちてきたような衝撃を僕に与えた。
再び冷静ではいられなくなり、僕は声を荒げる。
「君のお母さんがコンフレークではないって言うんだったら、それはコンフレークじゃないじゃないか!」
「そうなんだ」
どうしてこの男はそんな落ち着いた表情で答えられるのか、僕には到底理解できなかった。
「最初に言えよ!僕が赤いスカーフの虎のマネをしているとき、君はどう思っていたんだ⁉」
「申し訳ない」と、彼は今日一番、困った顔をして見せた。
自分がおかしなことを言って困らせているような錯覚が僕を包みこむ。
これは現実なのか?果たして今までのやり取りはなんだったのか?再び僕の周りの空間が歪み、僕の中にやるせない感情が押し寄せてきた。
「どうなってるんだよ。いったい・・」
僕は絞り出すように声を漏らした。
「オトンが言うには・・」
一瞬聞き間違えたのかと思ったが、大場は確かに「オトン」と言ったようだった。ちなみに「オトン」と言うのは関西圏でよく言うお父さんのことだ。
「オトン?」
僕は一応聞き返した。
すると彼は悪びれることもなく言った。
「鯖の塩焼きじゃないかって」
「いや絶対違うだろ!もういいよ」
そう吐き捨て、僕は大場の家を飛び出した。


家に帰る途中、何故か今朝見た母の背中が思い浮かんできた。
早く社会人になって親孝行しないとな、そんな言葉も浮かんできた。
そう思うと少し胸が熱くなった。
明日からでも少し楽にしてあげよう
星空を見上げながら僕はつぶやいた。
「だって歳だもんな」

家に帰るとちょうど母は風呂上りで、台所でアルカリイオン水を飲んでいた。母の夜のルーティンだ。
僕はただいまも言わずに母に言った。
「明日から、朝ごはんはコンフレークでいいから」
僕なりの親孝行のはじまりだった。




※短編笑説 コンフレーク 2022/2

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