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【私の感傷的百物語】第四十三話 ウナギ

以前、何度かウナギ釣りをやったことがあります。一度は釣れたウナギを捌いてみましたが、通常の魚とはまったく異なったその裁き方に、思わず閉口したものです。

ご存知の方も多いかと思いますが、ウナギを捌く際には必ず生きたままのものを用います。事前に氷水に漬けて弱らせてから、目の前でわずかに体をくねらせる細長い魚体の頭部に、「目打ち」と呼ばれる錐(きり)状の金具を突き刺すのです(アイスピックやマイナスドライバーを使う人もいます)。脳天に一撃を加える訳です。そして、すかさず背の側(関西では腹側)から包丁を入れ、一気呵成に開くと、お店で売っている「蒲焼き」の形になる訳です。
慣れていない者からすると。瞬時に息の根を止めてから調理するといいうのは、ちょっとすごい光景です(ウナギですらある種の壮絶な印象を受けるのですから、畜肉の場合は、さらに素人にはショッキングでしょう)。

釣り上がってくる姿からしても、ウナギは特異的です。にょろにょろと糸や仕掛けに絡みついて、粘液を撒き散らします。多くの場合、巨大な釣り針を飲み込んでいるのですが、そのまま水槽で飼っていると、数日後には自らその針を吐き出してしまうというのですから、これまた他の魚類と一線を画しています。

ウナギは夜行性で、昼間に潜んでいる場所は岩の間など、影に隠れた部分です。側溝の隙間に巣食っているいるヤツまでいます。そこから出てくる姿というのは、どことなく不気味で、怪談の香りがしてきますが、極めつけに、こうしたウナギを釣るための「地獄ばり」と呼ばれる矢のような釣り針が存在したというのです。長辻象平「釣魚をめぐる博物誌」によると、天保五年(一八三四年)に城東漁父という人物が記した書物に、地獄ばりを用いた釣りが紹介されているそうです。

『ウナギが気付かないまま腹中深く飲み込んでしまうことからついた名前であろう』

と考察がされていました。他にも同著では

『まな板へ首塚をつく蒲焼屋』
『太平に生首を積む蒲焼屋』


といった、ウナギ調理の薄気味が悪い部分に注目をした古川柳も掲載されています。釣り針を飲み込んで七転八倒した後、生きたまま俎上へと載せられて頭を金釘で一突き。捌かれた後は首を落とされ、頭がまな板の隅へポン、と置かれる……。ウナギの最期の情景が、目の前に浮かんでくるようです。

さて、ウナギに携わる人々も、こうしたことをよく心得ているようで、産地ではウナギ供養の行事がみられます。矢野憲一「魚の文化史」では、浜名湖をのぞむ静岡県舞阪町にて、高さ二十メートルの魚観音を祀る、八月のウナギ供養祭が紹介されています。美味しく食べるためとはいえ、壮絶なやり方で魚を殺めなければならないという倫理と現実との間にある葛藤が、こうした文化の背後には漂っているように思えます。

ウナギに限らず、こういった葛藤は、我々が他の生き物たちと上手に付き合ってゆくのに必要な要素の一つではないでしょうか。

川面を泳ぐウナギの姿は、蛇のようであった。

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