【私の感傷的百物語】第四十七話 真っ黒な絵
動画やアニメーションよりも、写真や絵のような静止画が好きです。誇大妄想癖なので、目まぐるしくシーンが変化してゆくよりも、一枚の情景を眺めながら、あれこれ空想を広げるほうが楽しく感じます。別に誰の絵が特別好き、という訳でもありませんし、絵画に詳しくもないのですが、ミーハーな心持ちで、学生時代からたまに美術館などで絵を眺めています。
和洋問わず、自分なりにいろいろな絵を観てきましたが、怖い絵、というと、一枚、やけに印象に残っているものがあります。大学生の時、「色の効果」というテーマの展覧会に行った時でした。「黒色」というコーナーに、僕の頭身くらいある巨大な絵が飾ってあったのですが、それが目に入った瞬間、僕は全身の血が凍り付いたように、その場で固まってしまいました。その絵は、別にグロテスクな描写がある訳でもありません。おどろおどろしいクリーチャーも描かれていません。
ただ、一面が、真っ黒なのです。
一部分に小さくマンションのような建物が浮かんでいて、窓の部分だけが黄色く塗られているのですが、これがなおのこと不気味に感じました。題名はただの作品番号で、作者の名前は憶えていませんが、生没年を見ると、短命な人であったと記憶しています。絵の解説欄には「近代都会人の孤独」が表現されているとありました。なるほど、僕が感じた恐怖は、孤独と不安から生じるものだったのでしょう。まるで絵の中に作者の情念が残っているような、鬼気迫る、ぶ厚い黒色に、僕は震えました。
「あんなに怖い絵にはそうそうお目にかかれるものではない」と思うのと同時に、眺める人によっては、まったく恐怖を感じないだろうな、という感覚も、一方ではあるのです。要するに、それだけ当時の僕が「孤独=あの絵の世界」に飲まれるかもしれないという危機感を抱いていたのでしょう。人は根本的には孤独から逃れられないと(意識的にせよ、無意識的にせよ)自覚したうえで、それを癒すために我々は社交の場へと赴いていくのでしょうが、孤独に心の大部分が浸食されてしまうと、自己の内面に映る景色は、色を失っていきます。自分の殻に閉じこもり、外の世界と断絶され、永遠に、ただ一点だけ残された、不自然な、黄色い明かりの中で、暗闇を見つめ続ける……。
あの時、僕が衝撃を受けた黒色の絵の世界は、一度囚われたら抜け出すことがかなわない、精神を蝕む牢獄のようでした。