【私の感傷的百物語】第四十五話 夜の狩野川堤
僕が、地元の沼津で素晴らしいなと思っている場所の一つに、「狩野川堤(かのがわづつみ)」という川沿いの道があります。市内を流れる狩野川下流域の左岸に沿って続く、いわゆる土手上の歩道です。コンクリートで舗装されてはいますが、車を気にせず歩くことができるので、落ち着いた雰囲気の中、眼前をゆったりと流れる川の景色を眺められます。
高校時代の三年間、僕はほぼ毎日、自転車でこの道を通って学校へ通っていました。色々な思い出が狩野川堤にはあります。ジョギングランナーの息遣い、高校生カップルの後ろ姿、水門の前で立ち話をする老人たち、川上から漂ってくる花の香り、幼稚園からのはしゃぎ声、土手下のどんど焼き、渡し船とカッターボートが行き交う水面、台風で道に迫る濁流、橋桁の工事風景、カワウの潜水、気だるげな釣り人、マンションから聞こえるリコーダーの音色、飼い主と戯れる犬、等々……。
この道の夜の姿も、僕は好きです。道の両側には、落下防止のために柵が立っていて、川側に面した柵の柱には、それぞれ電灯が入っています。夜になると電灯が光りだし、等間隔に丁度良い光を放ちます。気分が高揚している時には、まるで灯篭(とうろう)が立ち並んでいるかのような、幽玄な印象を与えられるのです。
夜も更けるにつれて、こうしたムードはいっそう高まってくるので、この雰囲気の中で人とすれ違うのは、ちょっと緊張して、そして魅力的なものです。海から生暖かい風が吹いてきて、通行人の頬をなでていきます。道が橋の下をくぐる部分へ来ると、そこだけ強烈なオレンジ色ライトが、不自然な明かりを放っています。川を見れば、真っ暗な闇の塊が、ときたま町の光を反射しながら流れて行くようです。
いつ怪異が起こっても不思議でない空気に、背中をぞくぞくさせながら、僕は家路を急いだものでした。
川辺の道が持つ、昼の顔と夜の顔。
その両方が、僕にとっては愛おしいのです。
接し方は違えど、この二つの顔には、どちらも人生の辛いこと、悲しいことを和らげてくれる包容力があります。
何となく自分自身のなかに、この精神的な川の恵みを欲しているような部分が、あるのかもしれません。