大阪・桃谷温泉さん (生野区の銭湯)
JR大阪環状線・桃谷駅すぐの銭湯。
「桃谷 温泉商店街」にあります。銭湯なのに温泉を名のっているのは「大阪銭湯の慣例」。
責任者は出て……きません。
(2285文字)
桃谷温泉(ももだにおんせん)さん
むかし桃山、いま桃谷。桃の木がいっぱいの台地は、まるで桃の山だったそう。
もより駅は……
●大阪環状線・桃谷駅…徒歩約2分
🍑桃谷オマケのおはなし🍑
①1895年(明治28)、桃の山に鉄道が開通。当初は「桃山駅」でした。すでに京都に「桃山駅」があったので10年後に「桃谷駅」に改名されました。駅は小高い上町台地に。駅の東はゆるやかな下り坂です。それで「谷」にしたのかしら。
②町名・勝山北の歴史
むかし桃谷の東に、こんもり山のような古墳があり「岡山」とよばれていた。大阪夏の陣で徳川方がここに陣を張り勝利したので「御勝山」とよばれる。地名も岡山から、勝山(勝山北・勝山南)になりました。
桃谷 温泉通商店街
飲食店が多いなかに「おふろ」のカンバン。昼間は、あまり目だたない桃谷温泉さんがあります。「温泉通商店街」なんて、大げさに思うかもしれません。じつは先にも極楽温泉さんがあります。「温泉通」も、あながちウソではありません。
スチームサウナあつあつ
浴室付近はガラスの温室のような桃谷温泉さん。明るく開放的です。露天風呂・サウナ・水風呂・スチームサウナが、そろっています。
スチームサウナは蒸気がアツアツで、けっこうあったまります。
今回は乾式サウナは入っていません。(バスタオルを忘れました)
ちいさな座布団のようなサウナマットも完備。うれしい。
エステバス・ジェットバス
特記。すわるスタイルのジェットバスが、かなり強力です。背中が吹っ飛びそうに。さらに足裏の位置にお湯が吹き上がり、ツボ刺激大。
いまのところ生野区では最強レベル。(個人の感想です)
桃谷温泉さんは、駅近だし仕事帰りに最適です。飲食店も多いので、湯上がりも困りません。なんと桃谷駅改札外に、スタバもあるのですよ。
紙パックの牛乳
フロントには面倒見のよい女将さんがいます。きっと桃谷温泉さんがないと困る常連さんも多数。
足もとのおぼつかない女性の手を引いたり、洗面器を浴室に運んだり、いっしょに浴室まで来たり……。本来の業務以上のお客さんのお手伝いです。
そんな桃谷温泉さんのフロントには、お人形や絵など飾ってあります。きっとプレゼントやコレクションではないかと。やさしい銭湯です。
フロントには、銭湯のお約束、湯上がりドリンクの冷蔵庫は見あたりません。牛乳がないと思ってたら、自動販売機にありました。なんと紙パックの牛乳になっていました。
おなじみビン入り牛乳、銭湯ではペットボトルのフルーツ牛乳に入れ替わっているようです。これも時代ですね……。
きょうは桃谷温泉さんで、のんびり。
三月・桃の節句。
温泉商店街にあかりがともります。
オマケ「町名・勝山北」むかしばなし
◆大阪府立農業学校◆
1890年(明治23)、このあたりが桃の山だったころに農業・酪農の専門学校が転入してきました。もとは大阪府堺市にあった学校です。大阪に農業学校? ピンときませんね。
富国には農業・畜産など食生活の近代化と量産化が必要。強兵もしかり。現在の町名「勝山北」とついているところに、広大な府立農業学校がありました。大阪管区気象台もあったのです。(ヤン坊 マー坊もビックリ)
それで桃谷駅や商店街ができたのですね。その後、おおきな道路・勝山通も開通しました。生野区には、養鶏所や牧場もあったのです。
そして大阪府立農業学校は、大正末期に、ふたたび堺市に帰っていきました。それが現在の大阪府立大学につながるのです。
農業学校の跡地は現在、区役所などの官公庁・学校になっています。いまでは畑も木もなく石碑だけがむかしを伝えています。
◆折口信夫(おりぐちしのぶ)文学碑◆
生野区をあるきながら詠んだ歌。
木にもたれ、腰かけているような碑があります。
「小橋過ぎ 鶴橋生野来る道は
古道と思ふ 見覚えのなき」
生野区の鶴橋から南へ。
桃谷駅には商店街でにぎわい
勝山北のあたりは宅地開発もすすみ
そして、湯けむりゆれるまち。
勝山地区は生野区の歴史がいっぱい。
あまい歴史の果実・桃の山。
いまは桃谷。
【参考文献など】
『生野区50年史』『郷土史いくの7~10号』
大阪市ホームページ
「生野区内の史跡・旧跡」
いつも こころに うるおいを
水分補給も わすれずに
さいごまでお読みくださり
ありがとうございます。