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大阪・大宮神社「伝 豊国大明神坐像」特別公開

 豊臣秀吉ゆかりの大阪市旭区・大宮神社。
令和2年に豊臣秀吉の木像が発見されたと報道されました。それが「伝 豊国大明神坐像」です。
いよいよ特列公開があります。


大宮神社

大宮神社
大阪市旭区3-1-37

●最寄り駅は……
Osaka Metro(大阪メトロ)・谷町線・千林大宮せんばやしおおみや駅…徒歩約5分

かつては豊臣秀吉の庇護をうけ、広大な境内だった大宮神社。

由緒
大宮神社の創建は今から約八百二十五年前に遡ります。文治元年二月(一一八五年)に源義経が平氏追討の下向の折、この地に立ち寄り、宇佐八幡の神の霊夢を見て目覚めたところ、一樹の梅の古木に霊鏡がかけられていました。義経は我に神助ありと勇気百倍になり、その鏡を奉じて平家を打ち滅ぼし、この事を後鳥羽上皇に奏上して神社建立を許され、この地に社を建て「大宮八幡宮」と称したと伝えられています。摂津誌には「南島神社」と記されています。

『大宮神社参拝のしおり』より
抜粋いたしました
石橋あと 小川が流れていたらしい
しずかな境内

大宮神社は、むかしからある神社なのですが、境内の境界には樹木と献燈があるのみ。
石の鳥居もひっそりと。時が止まったような大宮神社の境内です。



豊臣秀吉の時代

大がかりな境内の設置、本殿・社殿など改修は豊臣秀吉の時代にされたそうです。

大宮神社社報より
「伝豊国大明神坐像」
この奥もずっと境内であった

時代は降り、天正十一年(一五八三年)には豊臣秀吉が大阪城築城にあたって、当社を「鬼門守護神」と崇めました。
社殿・末社の建立や神域の整備が手がけられ、毎年正・五・九月に幣を献じお祀りしたと伝えられます。当時の社殿は広荘で境内は三ヘクタールあり、南は京街道(現代の内代町)に一の鳥居があり、そこから神社まで続く参道には両側に松並木が続いていました。境内には樹木がうっそうと繁り四周に清らかな流れが引かれていたそうです。

『大宮神社参拝のしおり』より
引用いたしました


豊臣秀吉の時代より
大阪城の鬼門守護神であった


徳川幕府の江戸時代。社殿などは衰退しましたが明治時代に「大宮神社」と改称されました。

大宮中公園

明治以降、椿咲く小山があったところは公園になりました。
大宮神社の正面は「神徳」と書かれた石柱のみ。
豊臣秀吉の時代の栄光は消えたように思われました。

大宮神社入り口


大宮神社特別公開 伝豊国大明神坐像

令和2年に、豊臣秀吉の坐像とされる木像が発見されました。このニュースは、かなり話題に。
その後、この像は大阪市指定有形文化財になります。


名称決定「伝 豊国大明神坐像」
戦国時代の険しい秀吉ではなく、柔和な豊国の大明神として永遠に続く表情をしています。


ことし令和5年に特別公開・大宮神社で、はじめての一般公開が決定しました。


大宮神社 特別公開 伝豊国大明神 坐像

令和5年8月18日(金)~8月28日(月)


初公開

木造童子形神立像ほか三体の御神像、秀吉時代の様子を描いた伝来の古図など。

会場 大宮神社社務所
■時間 10時~15時半
■初穂料 五百円 (小学生以下無料)

◆靴を脱いで上がる会場です。
スロープ等はなく階段等による昇降のみとなります。
◆駐車場はありません。

手水舎
社務所
フライヤー

この時期、大阪へ来られるかたは是非とも大宮神社にお立ち寄りください。

◆詳しくは……


いぼ大神
ご神木
いぼ大神

木陰にて。きっと、お盆過ぎは、すずしい風に。


影絵のような石段も美しいのです。


毎週火曜日は
「フォト・イラスト」の日

いつも こころに うるおいを
水分補給も わすれずに 


さいごまでお読みくださり、
ありがとうございます。

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