四天王寺庚申堂 本堂は 1970年大阪万博のパビリオン
大阪市天王寺区の四天王寺庚申堂。
JR天王寺駅から、徒歩約10分。孫娘とお散歩しました。
四天王寺・庚申堂
庚申堂。広い敷地。本堂の屋根がモダンというか、シュッとしてる。瓦のデコボコもないし…新しく建てたのだろう…ずっとそう思っていました。
「四天王寺・庚申堂」と表記されているのは、この庚申堂が、もともとは四天王寺境内にあったのだそう。
京都の八坂庚申堂・東京の入谷庚申堂と並んで「三大庚申堂」といわれているそうです。
むかしの建物を発掘
大阪の町の散歩をしていたら、むかしの建物と出会います。
いつ誰が何のために建てたのか?
学校で習う、大阪城などは知ってるけれど。
それ以外の建物は…
本を読んで写真を見てやっと気づくことが多いのです。
いままで、知らずに通り過ぎていた建物が多いことを。
■ 発掘 the OSAKA ■
酒井一光 著
この本は、文章より写真が多く、大阪の有名な建物・あまり知られていない建物まで、72の建築物が掲載されています。
専門的な用語もありますが、また調べる楽しみもあり、素人の私でも、とっつきやすく、わかりやすいガイドブック的存在なのです。
1970年大阪万国博覧会
シュッとした本堂。この四天王寺・庚申堂の本堂が、1970年大阪万国博覧会にあった?
本を見るまで知りませんでした。
わたしは当時、小学2年生。大阪万国博覧会へは、2回ぐらい行った記憶があります。
ものすごい人と初めて見る外国の人。子ども心に、迷子になったら一生、家に帰れないと思うほどでした。
パビリオンなど、あまり覚えていません。こんな建物、あったっけ?
やっと、わかりました。本堂がモダンな感じがしたのは。前の本堂が戦禍で無くなってしまい、再建だからなのですね。
何となく境内が、がらんとしているなと思ったのです。むかしはもっと建物があったのかもしれません。
敷石は市電廃止のため、ここ四天王寺庚申堂にてリサイクルされたそうです。
戦後に建てられた本堂(茶所)
右側の建物、木の枝で隠れて屋根まで写ってません。
帰宅後、本を見て、これが「戦後の本堂」と気づきました。
立派な井戸のポンプをガシガシ押してたら少し水が出ました。孫娘と手水舎を写しただけ。残念です。
1948年(昭和23)に旧庚申堂として建てられ、 現在の庚申堂ができた後に、今の場所に移築された…ともありました。
それで茶所として、こんな片隅に。
見ざる・言わざる・聞かざる
いまは、のんびり孫との時間をすごす、おばあちゃんのわたしです。
記事では、いい部分の切り取り。
幸せいっぱいに見えますが、実際の人生は失敗だらけの、フラフラおばあちゃん。そして、娘はシンママ。
世の中での対人関係トラブル回避、じぶんを守るため、「三猿」の見ざる・言わざる・聞かざる精神が大切に。
このトシになって、しみじみ思います。
とにかく、なるべく見なきゃいいのです。
現代社会では、むかしと違って、じぶんの意思と関係なく情報が勝手に入ります。じぶんが疲れないように。
見ざる・聞かざる・デジタル・デトックス。何だか人間のようなお猿さんですね。頭をかかえているようにも見えます。
言わざるは、ついつい発散のため、「過激な、おしゃべり」をしがちです。特に女性。
なかなか難しいです。「悪口は止めとこう」のひとつでも実践しようと思います。
いつも、四天王寺・庚申堂の「三猿」を。
百度石の上に、ちょこん。珍しいですね。ぐるりと回って見ました。
孫娘は暑いのと、境内で遊び疲れたようです。庚申堂のすぐ東側に、甘納豆屋さんがあるので休憩します。
庚申堂まとめ
●1945年(昭和20)、戦禍で四天王寺・庚申堂の本堂なくなる。
●仮本堂が1948年(昭和23)建てられた。
● 1970年(昭和45)大阪万国博覧会の、休憩室兼茶室として建てられた「法輪閣」というパビリオンを本堂として移築。
●仮本堂は茶所として境内の南東に。
● 本堂との間に、見ざる・言わざる・聞かざるの百度石がある。
● 60日に一度に「庚申まいり」
大正13年創業・青山甘納豆さん。
和菓子も多数販売しています。
冷たいアイスキャンディーを、いただきます。
お家に帰ろうね。
いつも こころに うるおいを。
水分補給も わすれずに。
最後までお読みくださり、
ありがとうございます。
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