Vespa50s
#Mods ムーブメントという流れが過去にあった。それは、ファッションとバイクの融合でもあり、若者の文化でもあった。
イギリス発祥のそのムーブメントは1960年代に大きなうねりとなり、若者、ファッション、音楽、といういつの時代でも偉大なクリエイティブの発信源となる3つの要素が重なりあっていた。そんな彼らの愛した乗り物が #ランブレッタ や #ベスパ である。
最新のピッチリとしたスーツやジャケット、パンツを汚さない移動手段としてスクーターが選ばれるのは必然だったのかもしれない。
この #Vespa 日本語でスズメ蜂を意味するスクーターは、その排気音に由来した名前だ。
近代のようなオートマティックのミッション構造を持たないし、バッテリーすら搭載していない。当然セルモーターなど無いし、フロントブレーキは握った所でリアのランプは点灯しない。
ブレーキランプを点灯させるには、リアのフットブレーキを踏まなければならない。
ミッションはバンドチェンジであり、近代のバイクと同様に左手レバーのクラッチを切り、左手グリップを回すのだ。
先ずは手前に回して1速、そして進行側にN 2 3 4と続いて行く。いつも左足でやる事を左手で行う事になる。
2サイクルのエンジンは、以前の持ち主がマロッシのボアアップキットを組み込み、排気量をアップさせている。
全て鋼鉄で出来たボディは頑丈ではあるが、たいした重さを感じさせない。
フロントサスは肩持ちで、航空機のタイヤと同様の構造になっており、ブレーキングした時にノーズダイブをかなり緩和してくれるが、新品のサスに交換したが人間を含むほとんどの重量物がリアに集中している為にフロントの接地感は曖昧だ。
エンジンキーなどこのグレードには無く、スロットルはリターンスプリングすら無いので、自分でスロットルを戻す必要がある。
フロントサスを交換するだけの為に、フロント周りを全て分解しなければならず、整備性は褒められた物ではないし、何より速度メーター、フロントブレーキなどのアウターケーブルがこの複雑に曲がりくねったフォーク内を通り、僅かな穴から通さなければならないので大工事になってしまう。
このベスパ は80年代の物だが、構造そのものは昔の物とほとんど同じで何も進化する事もなく、90年代には新型と入れ替わりその長いモデル生命を絶たれる事になった。
美しいフォルムに2サイクルエンジン、バンドチェンジに鋼鉄のボディはディスコンとなり、パーツ類もだんだん日本では入手困難になってきてはいるが、便利に慣れた僕がこの不便で、少し危ういスクーターに乗る時、ある映画を思い出す。
勿論それは、#さらば青春の光 であり、音楽は #TheWho のビートだ。
そして、今はもう年寄りになってしまったであろう、当時のモッズを名乗ってコイツに跨り、街の中で青春を謳歌した若者達が作り上げたファッションや、音楽、ライフスタイルの数々に思いを馳せる。
そして僕もまた今日もカフェに居る。
ロッカーズ やモッズ、同じ時代に確かに存在した2つの相容れない文化と不良達は歴史的なブライトンでの乱闘騒ぎを起こしたが、それは大人が描き出したよくある若者全てを不良と一括りにした物語の一つであった。
しかし、英国でイタリアの機械がこれほどまでに持て囃された事はこの時代以外であったろうか?日本では僅かに盛り上がりを見せた事があるこの、モッズムーブメントは、現在は見る影もないが、きっとどこかにバイクが単なる道具ではなく、若者の文化であった時代に思いを馳せ、こいつで街を流すとき、僕らはきっと呟き、そして、過去若者であった彼らもきっと拳を上げてこう叫ぶだろう。
#WeAreMods とね。