鷹倉隆行 くらさん
大好きなオートバイのコラム。 二つしか車輪のない不安定な僕みたいなバイクや、ツーリングのお話。
アバルト595コンペティツィオーネが愛車に加わりました。
ポエマーなんて、男だったら恥ずかしいのかもしれないね。だけど書かずいられない人も多くて、書く事で安心出来る事もあるよ。 僕らは言葉で思考する人間なのだから。
さて、実は私は字が下手である。それはどれ程なのか?と問われれば、他人が読めない程だとか、解読不能と混乱に陥ってしまう。と、言えばご理解いただけるだろうか?原因は小学生の頃ほとんど不登校で満足に通わず、やっと中学から学業に取り組んだので、字の形を覚えるのに精一杯であり、書く事は後回しにしたからだと自己分析をしている。 そんな私が写経に取り組んだのは、御朱印巡りを行うようになっての事だ。御朱印とは本来は納経の証として頂くもので、スタンプラリーではない事は知ってはいたが、やはり
昭和という時代は遠い過去の物になりつつある。ある世代ではノスタルジックな印象の中で風化したセピアに色褪せた写真のように思えたり、ある人にとっては近代では許容し難いモラル無き悪の時代と考える事もあるのだろう。いずれにしても戦争が終わって僅か20と数年後に産まれた僕らにとっては、貧しさと豊かさ、テクノロジーと文化が加速度的に飛躍する国家や世界という概念の成長期にあった時代の、狂気と興奮の中に生きていたという事になるのだろう。 今となっては細すぎるタイヤ径にキャブレターという
車には様々なカラーが設定されている。それこそ 無限大に彩りどりのラインナップで僕らの好みを満たしてくれる。だから何を選んだら良いのか?とても迷ってしまう事もあるだろう。今回はそんな僕らが何を基準に車の色を選ぶべきなのか?そんなお話をしたいと思う。 勿論、好きな色があるならそれにしたら良い。安い買い物でもないし、満足のゆかないカラーの車と生活を共にするなんて苦痛でしかないだろう。だが、先ずは色選びの基本を抑えて行くのも悪くはないだろう。 そこに登場するのがナショナルカラーだ
アバルトという冠を付けた車はどうも限定というのが好きなようで、昔から限定販売の車輌が数多く販売されている。時にそれはフェラーリとのコラボモデルだったり、マゼラーティとのコラボだったり、なんなら有名ヨットビルダーとのコラボだったりもする。本国公式ですらそうなのだから、日本独自のモデルも存在するのだ。 私の愛車はスティーレと冠されたモデルで、スタイルと言う意味となる。以下がそんな私のスティーレの概要だ。 ボディカラーは、ビアンコ ガラ(ホワイト)、ロッソ アバルト(レッド)、
さて、カルロアルベルトアーバルトが蠍座産まれ、つまりは11月に誕生し、1949年にアバルトを設立して1997年あたりに消滅、その後にまた再編成され劇的な復活をしたのが2007年だった。翌年にはFiat500をベースにした近代のアバルトが発表され、代表車種となりつつ今日を迎えている。 簡単に歴史を説明するとそうなるのだが、長々とここで経緯を僕が記載しても仕方がないだろうから手に入れた車の話しをしよう。 アバルト595コンペティツィオーネの日本独自の限定車スティーレという
50代からのFRの勧め。 愛車はNissan 180SX。 1998年の後期型でありSR20DETを積み、205psと28kgfのパワーで1220kgの車体を操る。駆動方式は古典的なFRだ。そんな性格を持つこの車は当時の、そう昭和後期から平成中期の若者から愛されていた。縁があって40代後半から乗り始め、途中、ガレージに1年半放置してしまったが、去年あたりから不満点を解消しながら乗っている。もう大人になったのだし、ダッシュボードに鎮座した3連メーターを取払い、エンジンルーム内の
突然ですが、レカロはお好きですか? 私の180sxはノーマルシートを運転席側だけ取り外し、RS-G ASM LIMITED Rubyを取り付けております。 フルバケとかフルバケットと呼ばれるリクライニングなど一切しない仕様で、さながら拘束具のように運転姿勢を強要されますので、ぐうたらなリラックスした運転姿勢を取りたい人には不向きなシートですが、コーナーで運転姿勢が左右に振られない、常に一定の姿勢、身体全体をサポートするので腰が疲れないなどの効果がありますが、要はレースに使用
私の180SXは現在の他の個体の多くがそうであるように、中途半端にドリフト仕様のカスタムがなされている個体だった。 これから180SXを探そうと考える人に注意して欲しいポイントは、カスタムされていればいるほど調子も悪いし、治す事が困難になってゆくという点だろう。 勿論、きちんとしたショップでカスタムされた物もあるのだろうが、ひとついじれば必ず他に歪みが出る事は理解した方が良い。一例を上げるとこのようなカスタムが1番タチが悪い。 前置きの大きなインタークーラーを設置する為に
Moto/car長期リポートを執筆することになりました鷹倉です。よろしくお願いいたします。とはいっても担当するのは提供車ではなく、愛車だったりするのですが、少しでも興味のある方がいらっしゃったらお役に立てる事もあるかもしれません。 「同じ車に何年も乗る」 そんな願望を抱いた事があるだろうか?大抵それは手に入れた時の興奮から時間の経過とともに冷めてゆき、同時に古臭くなってゆくデザインやヘタリをみせる消耗品の数々とともに色褪せて新たな車体への興味へと移行してゆくものだろう。それ
1953年に #ホンダ から発売された #ベンリィ は2007年まで長い歴史を刻み、スクーターへ移行し、その長い歴史を今年閉じる事になった。 僕がこの #ベンリィ50s を格安のジャンクて手に入れたのは5年前の事だ。一桁万円ほどの価格だが、エンジンはかかるだけで、動かすとエンストする状態だった。 大きな #バイク だけではなく、気軽に使える軽い足となる物が欲しかったのだが、便利なスクーターより内燃機関を両足の間に置いて走りたかったでこのベンリィ50sを選択した。 安く気軽に
霊と暮らした事がある。なんて告白してしまえば、誰でもきっと好奇心と半信半疑では聞いてくれて、あるいは聞いた後に嘘つきであるとか、もしくは頭が少しおかしな奴だとか思われたりする物だろう。きっとそれは正しいのだろうし、だからこそ僕は冗談半分にしかこの話をした事が無かったんだ。 振り返ってみると幼い頃から少しそうした類いの物を見る側に居た。いや、本当のところはどうだったのか?単に夢見がちで、信じこみやすい性格だったのかもしれない。幼い頃のそれは古い農家の壁に張り付いている車く
君は髭を剃った事があるだろうか?まだかな?もしかしたら毎日その面倒すぎる行動に嫌気がさしているかもしれないね。でも大抵の場合は毎朝、眠い目で鏡に映る自分の顔を見つめながら髭を剃ったりする訳だ。例えばそれは電気のシェイバーだったり、あるいはそれは薬局やコンビニで手に入る簡単な物だったりするのかもしれない。 髭が剃れたらなんだって良いさ。 面倒な事に時間を掛けたって仕方がないし、無駄なものは自分の顔から無くなってしまえば良いと思う事だってあるのだろうから、最近は脱毛なんて
2年前の今頃、僕はこのモトグッツィルマン3 をある方から譲り受けた。 金額は気持ちだけで良いから、転売したりせず、治して乗ってくれる事。 それがその人の願いだった。 その人が亡くなった。 10年くらい前、ここにコイツは停まり、そこから動かなくなってしまった。 その最後の日はどこに行って帰ってきたのだろう? 元気だったコイツとその人のドラマはどんなだったのだろうか? 艶を失った塗装、錆びた様々なパーツ。 石のようになってしまったタイヤ。 いくつかの僅かな傷。
新年に靴を下ろそうと用意していたトリッカーズを大晦日にプレメンテし、準備をはじめた。 新品時のWaxなどを落とし、デリケートクリームで、外側、中側を保湿する。 硬い革はみるみるクリームを吸い込んで行き、なかなか保湿されないので手間取った。 人生には靴が必要だ。 良い靴は足下を彩り、そこから上のパンツやジーンズ、ジャケットやシャツまで影響を与える。 ビジネスシューズを履いて、ジーンズを履く人はだから居ないだろうし、スニーカーでスーツも可笑しな物だろう。 良い靴を買うだけ
ガソリンコックを回し、キーを差し込む。 キャブレターの加速ポンプを作動させる為にスロットルを2度僅かに煽り、スタータースウィッチを親指で押す。少し長めのクランキングの後、愛機が獰猛な身震いをするようにして目覚める。 バイクに跨りもう数十年。 そうだな、何度となく痛い目にもあってきたし、身体に残る傷もいくつかある。 そんな事はバイク乗りなら誰だってそうだろう。 だが俺は乗り続けてきた。 友よ、あんたはどうだい? そうした、たかがエンジンに生命を注ぎ込むのにもちょ
さて、ガレージのある生活とはどういうイメージを持つものだろうか?例えばそれはアメリカの贅沢な家とは別棟の小屋のようなイメージであったり、車が中心に鎮座して、壁には多くの工具が並び、その中でコーヒーでも飲めるようなイメージがあったり、そんな憧れもあるかもしれない。 バイク好きにとっては、オートバイが入庫出来て、簡単な工具や何かが置けたら良いなんて事もあるかもしれないが、僕にとって #ガレージ とは、整備や作業、洗車などを含めたインフラの事だったり、自宅にあるバイク、例えば