モンテッソーリ 幼き自分を振り返って。
息子が一歳を過ぎて、
「赤ちゃん」から「幼児」になったなぁと感じる。
ふと
モンテッソーリの子育てが気になり
よく目にするこちらを読んでみて
自分の幼少期の記憶を思い出したので書き留めておきます。
私が幼少期の頃、
もう今はみんな死んでしまったが
父方の兄弟はみんな私を可愛がってくれた
中でも父の妹、私の叔母とは思い出がたくさんある。
叔母と私は相性が良かった。
私が小学校高学年の頃 ジャガイモだったか
リンゴだったか、の皮を初めて包丁で剥く機会があった。
「初めてなのに上手い」と母から言われたのを覚えている。
母は滅多に私を褒めないので(今も。
妙に覚えているのだ。笑
その後 一人暮らしを始めたばかりの際にも
母は「あんたはジャガイモの皮をむくのだけは上手い」と
言うもんだからますます記憶に残っているのだが、
今思えば その理由は『叔母』にあったと思う。
私が幼少期(だいたい幼稚園)の頃 叔母はよく 子供の*ごく近くで
重ねたチラシの上に置いた林檎を 切り、皮を剥き、差し出してくれた。
*...(子供のと書くのは、叔母はその後も 何年経っても
どんな子にも 同じように リンゴを切り 手渡していたから。)
私は赤くて丸い林檎がどのようにして
黄色い半月形になったり、
どうやってウサギ風になったり
食べやすい大きさになっていくか、
自然と学ぶことができていた。
そして剥いている時の手やナイフの動き
リンゴの皮がどんどん垂れ下がって行く
手の動きによって 揺れ、途中で切れ、落ちる様子
薫って来るリンゴの匂いも
種がどの向きでどのように身の中に納まっているのかも、
自然と覚えていたのだ。
叔母は私に 早期から絵の具を使わせて
デカルコマニー で蝶や花などを描かせてくれた。**
2歳?そのくらいだと思う。
そして慣れて来た頃。実にちょうどいいタイミングで
今度は絵筆に出会わせてくれるのだ。
すぐに、うさぎ とかウルトラマンを
絵の具で描いた。
幼稚園に上がる大分前から絵の上手な子であった。
さらに別の叔母や 祖母が 「絵が好きなら」と
マジックインキと 前月のカレンダーを破いたの を与えてくれる
大きく白い 裏には文字や写真が印刷されている
お絵かき帳とは違って紙質が厚く
手触りはツルっとしている
何を描いたかよりもその感覚を覚えている
描いたものが何だったかは意味を持たず
そこに絵を描く行為が
とても楽しかったのを覚えている。
数年後に二人の子に恵まれた叔母は
実子には同じようなことはさせていない。
妹にはこの子は淡い色で描くのが得意だからと
水彩絵の具で淡く重ね塗りをさせていた。
兄には絵は描かせずに ピアノを習わせていた。
叔母は子供を見つめるプロだったのだと思う。
たとえば同じ「絵を描くのが好き」な子でも
好みの絵の描き方やモチーフが全然違うのだ。
普通の大人なら「絵を描くのが好きな子」で
一括りにしてしまう。
叔母と何をやり取りしたか
もう大半は忘れてしまったが
いつも冗談を言う 明るい叔母だった。
幼稚園の教論をしていて、
子どもたちにはかなり人気者だったようだ。
冗談ばかりだが、
成長についてやこちらへのアドバイスを
まじめにポロっと時々こぼすので
子ども心に逆に心に残ったのを覚えている。
叔母はその子一人一人違う
可能性や才能に出会わせてくれるような
コンシェルジュのような人だった。
読めば読むほど
自分の幼い頃と重なり しっくり ストンと腑に落ちる。
大事なことはこの本を読みワードや教養を身につけることではなく
子供を真摯に見つめ、観察して、感じることだろう。
私も叔母のように子供を見つめるプロになりたい。
叔母の遺伝子も入っているから、きっとできるはず。
そう信じている。
Shizuka.S