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ヨガのゴールは「瞑想」 その2
サマーディ 〜一瞬と永遠
ヨガは、「瞑想」という「状態」になるために行うもの。
では、ヨガの目指す「瞑想」とは、一体何なのでしょう?
どういう状態なのでしょうか?
ヨガで得られる「瞑想」の状態を、「サマーディ(三昧)」といいます。
集中を超えて、自分も他人もない、肉体も自我もない、
全てが一つに溶け合った状態です。
なんの境目もなく、平和で幸福感に包まれます。
ヨガの言葉でいうと、
アートマン(真我)=(宇宙の根源であり自分の本質)との出会いです。
ヨガの世界では、私たちは宇宙の一部であり、
同じであり、そのもの。
それを体感するのがサマーディです。
寝ているように見えるけれど、意識はあり、
エゴと肉体という着ぐるみを脱いで、
まるで生きているのに死んでいるよう。
何も恐れない、何も怒らず、憎しみもない。
心の動きが非常に少なく、安定します。
(その分、過剰な優しさや喜びもなくなるのでしょうが)
悟りを得る、無我の境地、ということなのでしょう。
悟りを得ると、生きるのが楽になるといいますが、
究極は、生きていること=現生的には肉体を持つことへ
執着しなくなります。
肉体を持たずに、宇宙と一体になること。
それは解脱です。輪廻から脱却。
(解脱・輪廻というのはとても大きな話なので、
また別の機会に譲ります)
いにしえから人々は、この心の平穏な状態を得て、
輪廻から解放されるためにヨガをしてきたのです。
よくサマーディを体験した、という方の話を聞きます。
また、ヨガの先生達の中には、サマーディにいつでもなれる
(サマーディに入るルーティンを確立している)方も少なくありません。
つまり、一度体験したことで、スイッチが切り替わり、
「後の残りの人生は、ずっとサマーディモードで!」
というわけにはいかないようです。
サマーディであり続けるために、みなさん修行を続けているのです。
余談ですが、私自身は、まだサマーディは瞬間芸の領域です。
ただ瞬間瞬間をつながて、隙間を無くしていけば永遠になります。
瞬間の体験を、自分自身そのものにするために、
日々ヨガと瞑想を続けています。